徒歩十分のロードムービー / 第八話

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家の押入れから小学六年生の僕が二十歳の僕に宛てた手紙が出てきた。近所に住んでいたハン君の手紙も一緒に束ねられていた。

二十一の時に同窓会があった。手紙はタイムカプセルに詰め埋めていた。その同窓会で晴れて開封された。ハン君は同窓会に出れず、ハン君の家に一番近かった僕が預かっていた。

てっきり忘れていた。もう近くには住んでいなかった、むしろ一番遠くに住んでいた。ハン君とは連絡さえつかない。今何をしているかも知らなかった。

僕の分で限って言えば、思い出だと言って残してしまっていたが、こんな下らないものは燃やしておけばよかった。

小学生の夢は気まぐれに決まっていて、教師はどういうつもりでこれを書かせたのかわからない。これを見て小さい頃の夢でも思い出せと言うのか。そうだとしたら、これを書かせた教師はよっぽどのひねくれ者か、それか意地悪だ。小学生からの夢をかなえられる人間がクラスに何人いると思うのか。十人に一人いれば御の字だと僕は思う。残りは世間の荒波にもまれ、限界を知り環境に適応させたりして何とか生きるていく。

初志貫徹がいいのか。まだ十二歳かそこらのガキンチョの純粋な欲望が、まぐれで賢人が考え出したような素晴らしいものだとしたら望みはあるが、往々にして愚劣に決まっていて、愚劣なものを初志貫徹された日には周りの家族含めて迷惑だ。そんなものをクラス全員に遺させるのはあまりに残酷で、この教師は性格が悪い。

そもそも大人が小学生の頃の自分を当てにするのは、気が狂ってるとしか思えない。これは僕の話だ。手紙にはこうあった。

あなたは今、大学生になっていることでしょう。
あなたは、二○○一年のぼくの夢はおぼえていますか?わすれているなら言います。
弁護士です。ちゃんと夢にむかっていますか?
それにしても大学はおもしろいですか。
楽しかったのなら○
楽しくなかったら×を( )
次の質問 友達がいる
いるなら○いないなら×を( )
次の質問 字はきれいですか。
きれいなら○きたないなら×を( )
最後の一問 今のあなたの夢は
(               )
これからもがんばってください。
それと、たい切にしている五百円こうかを入れておきます。

やはり馬鹿馬鹿しい。原稿用紙にこう書いているが、改行して質問形式を取り入れてごまかしているのが見え見えだった。未来の僕に丸投げしていて困った。

十二歳からめんどくさがり屋は変わらない。

弁護士とは驚いた。文章を読むだけで蕁麻疹が出るような人間が、世界で最もわけのわからない書き方をしてる法律文章を理解しようというのはあまりに無茶だ。そもそも小学六年生が大切のたいの字を書けないようでは弁護士なんて無理だ。先生はこれを見て許したのだろうか。弁護士を改心してくれてよかったとほっとした。

この時から乗り気でなかったのだろう。今の僕に夢聞いてるくらいだから、やっぱり変わってしまうと感づいていたのだ。

記憶力に難がある僕はこれを読んで苦しかった。これを書いたのは確かに僕だ。だがどこでいつ書いたのか思い出せない。学校の教室に決まっているが、シーンが出てこない。作文を使っても僕の脳は応えてくれなかった。僕はどうしても思い出したかった。これを書いた瞬間だけでなく、故郷で過ごした十八年間を思い出したかった。

丁度ハン君の手紙を渡すと言う、うってつけの言い訳を右手に持って僕は散歩に出た。こんな手紙は捨ててしまうのが優しさだと思った。ハン君には悪いが、墓参りで知った想い出の軽薄さに僕は追い詰められていた。

上京してからこの地区には一度も足を踏み入れていなかった。用事もなければ興味もなかった。通りに高校生の頃働いていた喫茶店があった。区民センターの横にあって、近くに役所と警察署があり賑わっていた。通りからは全面ガラス張りで中が見える。ガラスに『CafedeMoon』とロゴがプリントされていたが、店名が変わったのか、きっとオーナーが変わったのだろう、ロゴはなくなっていた。

入る勇気もなかった。ガラス越しに外から覗き込んだが、斜陽が強くて中が暗くわかりづらかった。内装も変わっているらしかった。

カウンターで立っている人はシルエットで赤の他人とわかった。同じ喫茶店として商っていたが、やはり店は変わっていた。

朝六時前にシャッターを上げ、エプロンを着て一番の仕事は表の名前も知らない木と花に水をやることだった、それも無くなってテラス席が設けられていた。僕はその植物の名前を聞いておけばよかったと思った。

道なりに進み、歩道橋が見え公園がある、横にスナック『珍古』と言うガキが喜びそうなスナックがあった。

もう少し行くと、小さい頃に通っていた塾があるはずだった。塾は小学校から近い。母は低賃金の中、無理して僕を塾に通わせていた。塾のあったオフィスビルの二階の窓には賃貸物件の広告が貼っていて、不動産屋の電話番号が書いていた。

その貸オフィスに昔は机があり、ホワイトボードがあった。子供が少なくなり苦しかったのだろうか。

その区画を奥に行くと区立の中央公園がある。中央公園と言う割りにさほど大きくはない。だが都会にしてはちょっとした広場だった。

僕が小さい頃はただの空地同然で、ささやかながらブランコや遊具が端にあるぐらいだった。それが今では赤レンガが敷かれたスロープがあり、砂場は柵で囲われ、所々にベンチが設置されていた。ただ広いだけの公園に芝が敷かれ、真ん中にでかい木が一本植えられていた。野球やサッカーをするには邪魔だろうと思った。

広場を渡っや反対側の出口は立派で、墓みたいな石に中央公園と彫られている。こちらがメインの入口らしかった。綺麗になっていた。汚く雑草が端にぼうぼうと生え、違法駐車場と化していたのがまるで嘘みたいだった。

出て目の前には平野川と言う用水路が流れている。当時はそれがひどく臭かった。ヘドロが堆積した川で雨が降った日は鼻をつまんで下校したのを思い出した。一体何を流せばそうなるのかわからなかった。一度水死体が流れていたのを見つけて、そいつをみんなで追いかけたことがあった。

水かさが減るとヘドロが川底にむき出しになる。それも今では綺麗にしたのか匂いは気にならなかった。小学生だから、年中脳内麻薬が出っ放しで、ハイになって感覚が何百倍になってただけかもしれない。

この道だ、この川沿いのこの道で僕はサキに振られた。

ここで僕は「別れましょう」と言われた。

タイムマシンがあるならあの時に戻って僕自身に「かっこつけるな、すがりつけ」と言ってやりたい。

僕は自転車を押していて、二人で歩いていた。それで不意にそんなこと言われ、僕はすんなり受け入れてしまった。

彼女は川沿いを真っ直ぐ、僕は橋を交差点のほうに渡った。あの時は足に力が入らず自転車にしがみついてハンドルに全体重を乗せ支えていた。彼女と別れ、歩くのもつらく交差点の植え込みに座った。ここに座って僕はずっと交差点を見ていた。

ここのはずだった。

建物も何もかも変わって、臨場感がない。実際に座ってみても実感がない。季節もいつだったかわからない。僕の横を黒い虫が歩いていたと思ったが、僕はマフラーを巻いていたようにも思った。その時の僕は下なんてみず、ただ交差点を望んていたはずだった。夏に見るその黒い虫はなんなのか。ただ違う日違う年で同じように座った時の映像が重なっているだけなのか。オーバーラップが幾重にもなってどれがどれだかわからない。

それに僕はあの時、本当はなんて言われて別れたのか。サキの台詞はそんなに長いものではなかった。

僕は未だに電話帳に残っていたサキに電話をかけた。もちろん繋がらなかった。電話番号が変わっていて、機械の女が僕に抑揚なく教えてくれた。それを聞いて僕は怒ったわけでも狼狽したわけでもない。こんな糞にも似た男に、綺麗な女が、恋仲だったと今思えば夢みたいな話だと思った。

疑ってしまった。これが夢だ。夢はこう言うものだ。

一度辞書で調べたことがある。寝て見るあれが夢で、はかない意味でしかない。嘘、幻、妖の類だ。

僕がもう少し頭が良ければ、自分が蝶になった夢でさえも、蝶が自分だと勘違いもできるのだろう。宇宙から撮った写真を見るまで地球が青いと想像もできない一庶民では、夢は夢としか思えない。ではこの寒い夏に交差点で迷うこいつは誰だ。

僕は横断歩道を渡って町内に入って行った。

いよいよ故郷が僕に牙をむく。映画の中では優しいノスタルジーに包まれていた故郷はここのはずだった。

居酒屋のどぎつい不自然な赤の看板が目に痛い。ここにあったはずの脇道がない。ここにあった通りの文房具屋で分度器とコンパスを買った。買った分度器もコンパスも今は持っていない、それでもそこで買ったはずだった。
通りを勘違いしているのか、思い違いをしてるのだ。道もわからないとなると、自分が住んで暮した元の実家がどこにあるのか怪しく思えた。

こんなドラッグストアもコンビニエンスストアもスーパーもなかった。脇に入って初めて店があったはずだった。

大体の位置はわかっている。道が一つなくなったからと言って大した問題ではない。

ここにあった空地が今では駐車場になっているだけの話だ。次の区画を西に進めば実家だった。その辺にあるはずなのだ。

この通りだ。ここを行けばもうすぐそこだ。この通りで僕は犬に追いかけられた。近所で狂犬病だと恐れられていた友達の犬だ。黒い雑種で、よく遊んだ公園の近くに住んでいた。あの犬は僕が持っていた黄色いビニルのボールが欲しくて僕を追いかけた。駄菓子屋の前で僕はボールを犬に投げつけて噛まれずに済んだ。

もうその駄菓子屋はなくなっていたのは知っていた。僕が高校性の頃に潰れたはずだった。向かいの工場は変わっていない。工場の脇に落ちていたネジを拾って宝物にした。

公園はすぐだ。公園がすぐなら、家もすぐだ。この公園にも、今では真ん中に大きい木が邪魔して生えていた。ここでドッジボールや鬼ごっこを、近所のみんなと遊んだ、あいつも一緒だった。

遊具はペンキで塗りなおされて違って見えたが、確かにここだった。

僕は高校三年の頃、ジャンク品の八ミリのフィルムカメラでそいつを撮った。そいつを現像して見ることもできずに大事に取っておいた。映写機がなかったのだ。大学に映写機があると聞きき、初めて観た。露光も知らず地面は夏の鋭い光で白く飛んでいたが、花壇や遊具を含んだ概ねの光景は紗をかけたようで、その色は淡く判別でき、スクリーンの先に有るように思わせた。五分ほど誰もいない公園が映っていた。飽きずに見ていられた。

あのフィルムはもうない。入隊の際、ほとんどの私物品と一緒にして捨ててしまったらしかった。もう一度見たいと思った。手が届かないと駄目なのだろう、手元に大事に持っていないともう二度と見ることはできない。遠くに行ってしまえばそれまでで、お目にかかることはできなくなってしまう。

フィルムに限ったことではない、初恋でも十一桁の数字も当てにはならなかった。高校が違っていただけで会えなくなった人間もいる。手元に置いておかないとすぐにどこかへ行ってしまう。半径三インチで囁く声が聞こえなくなったら、そのままふっと消えてしまう。

この公園には外灯があった。仄暗い中にポツンと光っていた。これも無くなって大きな木の影だけ不気味にそびえ立っていた。いい予感はしなかった。家に近づいても、近づいている気がしない。区画をぐるっと回ってみても近づかない。

中学校の横にあった僕の家はもう目の前にあっていいはずだった。違う名前の表札を見て「変わっちまったな」などとつぶやいて帰るつもりが、物さえない。当てが外れたのだ。着いてもないのに、カーナビが「目的地に到着しました」と知らされている気分だった。カーナビなら「着いてねぇじゃねぇか」と反吐を吐いたり叩き壊すことだってできるが、生憎もう自分をどうにかする勇気なんてこれっぽっちもなかった。

あいつが飛んだマンションはここから近い。中学までは一緒だった。高校で初めて別になった。幼稚園も一緒だった。小学も一緒だった。高校に進学して一年が過ぎ、僕は家で母とテレビを見ながら晩飯を食べていた。あいつのおばさんから電話で知らせを受けた。
「またね」と言ってそれっきりはごくごくありふれた話だ。これが最期と、その瞬間わかればいいのか。わかったら意地でも最期にしないようにするだろう。それではまるで言葉遊びだ。「この文章は嘘だ」と言ってるようなもので下らない。だが強がってみても、僕の知らないところで僕の大事なものが刻一刻と消えていくのはやはり淋しいと思った。

母校を前にしてしゃがみタバコを吸っている姿は醜かったことだろう。

バイクが来た。僕はただ眺めていただけだが、目が悪く遠くを見ると目を細めてしかめっ面になる癖があった。バイクが近づいて目の前に停まると「なに見とんねん」とライダーが因縁をつけてきた。
「あれ?リョウヘイやん」とライダーは言った。フルフェイスのヘルメットを脱ぐとリュウだった。
「帰っとったんか、何してんの?こんなとこで」リュウはバイクのエンジンを切った。ヘッドライトが消え、エンジン音も消えて静かになった。リュウは相変わらず筋肉質で大きかった。
「思い出にふけっててん」
「ああ、ようお前んちの前でしゃべったな。ちょっと前に改装してたよ」
「仕事の帰りか?」僕は聞いた。リュウは教師のたまごで非常勤で中学の体育を教えている。リュウはラガーマンでラグビー部も手伝っていた。こんな厳つい体育教師にはどんなやんちゃなガキでも大人しくしてるのだろうと思った。
「おう、珍しく早く帰れたわ」
「楽しくやってんの?」
「楽しいで。やっぱ子供はおもろいわ。子供はおもろいんやけどな、先生がクソやわ。今日も喧嘩したった」
「どうしたん?」
「体育祭が近いんやけど、それで行進とかするやん。で靭帯切っ生徒がおんねんけど、今日その行進の練習見たらその子車いすに座って見学してんねん。なんでやねんってその子に聞いたら担任の先生に見学しろって言われたって言うねん。それで担任の先生に聞いたら『歩きづらそうにしてたから外しました』っていうねん。いや、歩けますよ歩かせたらいいじゃないですかって言ったら『もう決まったから』ってぬかしよんねん。俺その話全く聞いてなかったからプッチン来て、なに勝手に決めてるんですかって切れたってん。いや、これが一、二年生やったら来年もあるし無理せんとこうってなるけど、その子三年で最後の体育祭やねん。俺も靭帯切ったことあんねんけど、正直歩けんねん」
「なんかあったらでビビってんねんやろうな」
「そうやねん、ビビってんねん。本人が歩きたくないって言ってんやったらしゃあないなってなるけど、本人は歩きたいって言ってるしな。『先生なんとかしてください』って担任じゃない俺に頼んでくるとかもう終わってるわ」
「それでどうしたん?」
「その子に担任に歩きますって言えって言ったよ。本人が希望したら担任も断られへんやろ」
「診断は大丈夫なん?俺も靭帯痛めたことあるけど、あれ動かすと悪化するやん」
「歩いてええってなってんねん。じゃないとはなっから車いすやん。元々行進する予定やったしな。急にや。ちょっと歩きが変に見えたから『あ、やばい、なんかあったら私やばい』って思ってんやろ。ほんま腐ってるわ」
「自分がかわいいんやろうな。女の先生?」
「そうやねん、女やねん。だから質悪いねん。男やったらガツンって言ってやんねんけどさ。私利私欲の女教師とか扱い困るわ」リュウは苦笑いしたんだ。
「飯食ったん?」リュウは僕に言った。僕が首を横に振ると「丁度ええやん、飯いこうや」とリュウは僕を誘った。
「メットないから後ろ乗せられへんわ、○○て店覚えてる?前行ったところ」
「ああ、あそこまだ潰れてなかったんか」僕は笑った。
「じゃあそこで待っといて、一回家帰ってから行くわ」そうリュウは言うとバイクのエンジンをかけた。ライトが付いて、また騒々しくなった。
「てか、リョウヘイあの目つきほんま止めた方がいいで。むっちゃガンつけてる様に見えるわ。前もこんなことあったよな」

高校生の頃だった。その時はリュウは自転車で、リュウは僕に睨まれたと勘違いをしたことがあった。
「癖やねん、しゃあないやろ」
「まあええわ、じゃあ先行って待っといて」

リュウは僕の知ってるリュウの家の方へ行った。

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