徒歩十分のロードムービー / 第七話

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大阪に帰りオヤジさんにメールをした。オヤジさんから「わかりました、次は就職したら連絡ください」と皮肉が返ってきた。当人は皮肉でなく言っているつもりだろうが、それでも僕には皮肉に聞こえた。

仕事をする気がなかった。貯金を使い果たすまでは働く気にならなかった。

実家に帰ったと言ったが、僕はここが実家だとは思えなかった。

僕が上京した時に母は引っ越して、僕が知る実家は母校の中学校がすぐ近くにあり、三階建ての家で、母が苦心して建てた一軒家だ。

このような薄汚れたアパートでなかった。今にも潰れてしまうのではないかと心配になった。震度二でも揺れがひどい。建てつけも悪く、アパート全体が歪み、窓がきっちり閉まらない。

それに住人も狂ってる人ばかりだ。他人のゴミを覗いているジジイがいる。ゴミ置き場がアパートの入口のすぐ横で、ジジイは二十四時間ゴミを監視していて、僕は出入りする度に挨拶しないといけない。その度にジジイは僕に話しかけてくる。こんにちは、こんばんは程度なら気にもならないが「休みなのか」とか「いつまでなんだ」と聞かれ困るようになった。はじめのうちは「ええ、まぁ」と適当にいなしていたが、長くいるものだから「休みが長いな」「なんの仕事してるんだ」とジジイも他人の領分に土足で入ってくるようになった。頭に血が上って殴りたくなってしまう。

ただこのジジイは隣での住人で僕の母が気に入っているようだった。ジジイと母のラブロマンスは気持ちが悪くていけない。テレビで取り上げる分には面白おかしく見ていられるが、息子としてはたまったものではない。ましてや他人のゴミを漁るようなジジイはもっての他だ。

もちろん、母はまともで、母はジジイを気持ち悪がっていた。

それでも隣だからと愛想よくして過ごした。僕が刺されてもこんなジジイのしてしまうが、母はそうはいかない。そう考えるとこっちも強気に言えなくなってくる。

このアパートには困ってしまう。他人の郵便物を勝手に開けて見るやつが住んでいる。一カ所に各部屋の郵便受けがあり、我慢できないのか平然か気まぐれかは知る由もないが、開けて見てしまう。

上に住んでるババアらしい。狂っている。そんなやつばかりで、僕まで狂ってしまわないか心配になる。母は郵便受けに南京錠をかけている。他の部屋のやつらもかけている。唯一2A室の郵便受けだけ錠がない。まぬけにもほどがある。

住んでる町もいけなかった。町全体がイカれている。外に自転車を置いてたら、良くてパンクかサドルを盗られ、悪くて自転車ごとなくなる。こんなところは母には似合っていなかった。

僕は墓参りに行こうと思っていた。

親類ではない。友人の墓だ。

幼稚園から高校一年までの幼馴染だった。物静かで何を考えているかわからないやつだった。それでも幼少期によくそいつの家でゲームをしたり、近くの小さな公園でボール遊びや鬼ごっこ、かくれんぼに氷鬼なんてのもやった。かくれんぼで僕は隠れすぎてみんなが帰っていたことに気づかなかったことがあった。辺りが静かすぎると思い、出てみると誰もいなかった。公園は空っぽで置いてきぼりを食った。

場面場面が淡く思い出せるだけではっきり思い出せているわけではなかった。梅田から阪急線で京都の桂に向かっている途中、そんなこと思い出しながら電車に揺られていた。

桂駅からバスで三十分ほどに霊園がある。

僕はバスが苦手で、長距離の夜行バスなら眠って過ごせるが、市バスでは気分が悪くなる。本を読めばたちまち吐いてしまう。精神を集中しないと長く乗るのが難しい。

それに京都のバスはよく揺れ、よく止まる。停車場が多いわけではなく、総じて道が狭い。一方通行だろう道幅を無理をして二車線に引いているように見え、さらにバス通りだから馬鹿げている。軽自動車とすれ違うだけで難儀する道をバス同士が行き違う。ドライバーに呆れ、尊敬してしまった。電信柱に擦ってしまわないかと、窓からずっと覗いていたが、ハンドルさばきですれすれを過ぎていく。遊園地よりよほど安くて面白いちょっとしたアトラクションだった。全国でドライバーテクニックを競えば、この線のバスが上位に食い込むと思った。それのおかげか、バス酔いをすっかり忘れて済んだ。

車窓から京都の建物を眺めていると、あいつはこんなところへ一度も来たことがないだろうと心配になった。

京都を旅行した話をあいつから聞いたことがなかった。化けて出た日には、ここはどこだと、携帯電話も地図も持たず墓石の前から一歩も動けないのではなかろうか。誰かに会おうにも、目印のない山中に一人埋められ、彼はどう思っているのか。死んでみないことにはわからない。

あいつの墓はもうそろそろだろうあいつのお爺さんの為に建てたと聞いたことがあった。思いのほかお爺さんがしぶとかったのと、思いのほかあいつが早いこと向こう側に渡ったのが重なって、予定が狂った。

あいつの告別式を思い出そうとしたが、断片しか出てこない。

冬だった。

晴天だった。

死に化粧は覚えていた。

その後バスに乗って隣に座っていたリュウが泣いている僕を慰める画があった。

僅か四カットだった。物足りなく思った。

バス停から山道を歩いて霊園に着いた。一山丸坊主にした広大な敷地に隙間なく墓石が並んでいる。世の中では僕の知らないところで相当な数があの世に旅立っているらしく、こんなにも御釈迦様が唸ってるとは思ってもみなかった。僕が生まれて触れた間近な死はあいつだけだった。

僕は迷ってしまった。この辺だろう検討はついていたが、その辺を片っ端から探すしかなかった。一人で墓場をうろうろしているのはどうにもいい画とは思えなかった。あいつの家に電話をして聞けばいいのだろうが、電話番号を思い出せなかった。小さい頃は空であいつの家に電話をかけていたのが懐かしかった。他の友達に聞いてみようにも、あいつの電話番号を知っているやつを知らなかった。

自力で探す他なく、彷徨う羽目になった。僕みたいな登山客が遭難して救助隊のお世話になるのだろうと思った。

出来る人間はこういう時に怠らないもので、出かける前に下調べを入念に済ませるのだろう。僕がデートで散々失敗したのがなぜか、わかった気がした。

山は少し傾斜があり息も切れてきた。早足で墓石を巡るが見つからない。区画で別れているがどこの区画かわからない、それを二三潰してようやく見つけた時にはもうそろそろ閉園の時間になっていた。

おまけに見つけたはいいが、線香も花も雑巾もなにも持ってこなかったから、あいつの墓石の前で何をしに来たのかわからなくなった。墓石にぶつぶつつぶやくしかなかった。墓の前で念仏なら収まりが良かっただろうが、僕がつぶやいていたのは自分のことだった。

無礼と思いつつもタバコに火を点けて「タバコを吸うようになったよ」と報告した。こいつの知らない世界をご披露してしんぜようと言う気分だった。

君に話してきたようなことをこいつにも話していた。時間もなかったから思い出せる限り端折って話した。東京のことはよく話せた。ただ大阪の段になって急に難しくなった。時間が飛び、時系列で話せなかった。
「東京に行こうと思ったのは、好きな映画で主人公がそうしてたからなんだ。故郷のシチリア島にいたって何にもなれない男の子が恋なんかも全部捨てて島を出て成功して帰ってくるって話なんだ。俺にはあんな人生導いてくれる映写技師のジジイなんて知り合いにいないけどさ、なんか憧れたんだ」

そう話したまでは順々に過去へ遡っていたが、その先から虫食いみたく、記憶に穴が開いていた。
「授業中よく図書館に逃げてたよ」と下らない事で間を埋めてはみたが、うまく話がつながらない。
「サキが初恋でさ、付き合ってたんだけど、あんときの僕も馬鹿だったから手を出せなかったんだ。そこらへん嫌になったんだろうな」

記憶が飛び飛びで、思い出したのはセンター試験一日目の帰りだった。

オノとチバと僕の三人でファミリーレストランに寄って、赤ワインをデカンタで飲んだ。僕はべろべろに酔っ払い、チバに介抱されながら帰りの環状線で、どうしても我慢できず、途中下車して飛び出したそのままホームの壁に手をつき吐いた。

赤ワインのせいか、真っ赤なゲロで「玉造駅で血を吐いた」と三日ばかしあいつらと笑った。

それもセンター試験で、試験は一体何月に行われたのか。

僕が上京した日は三月の二十日だった。その試験日との間には一体何日あるのか。

タバコの火はもうフィルターに掛かっていて指にほんのり温かさが伝わり、もう話すのをやめた。
「せっかく大阪に帰ってきたんだし、色々と会ってみたいな」と残して僕は山を下りた。こんな話を聞かされた方はウンザリするだろうと思いながら下った。楽しい話題を持ってこれれば良かった。どうもそうはいかないらしい。
山道に桃の花が咲いていた。昨日あたり雨が降ったのか、道に花びらが散り踏まれグロテスクだった。枝にしがみついてる花はお辞儀をしてこっち向いてまだ美しさを見せていた。

僕の本にはこの花が咲き乱れている。川を船で行って、いつしか支流へ迷い込み、周囲の様相は街から村へ変化する。やがて自然に帰った。草木が生い茂り、風が吹き抜け、雲が悠々と漂って、さらに進むと川沿いに桃の木が見えた。次第に本数が増え、それも等間隔で植えられているようだった。いつしか、船から空が見えぬ程、桃の花が満開に咲き誇り、花と花のほんのすこしの間から覗いた日光が優しく水面へ降り注ぐ。風に誘われた花びらがひらりと舞い、川へ踊り疲れたように休むと、それがそっと音もなくただ川下へ流れて行った。やんわりと霞がかかると、桃の花に積もった光がぼうっと開いたように見えた。霞は濃くなっていき、視界も悪くなっていた。死んだのではなかろかと、彼に思わせるほどこの景色は妖艶だった。ジュンに見せたかった景色だった。死なねば見れぬその村をあいつは見れたのだろうか。

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