徒歩十分のロードムービー / 第四話

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オノはいいところに住んでいた。これには驚いた。オノがこんなところに一人で住むなんて思ってもみなかった。駅からも近く新築みたいに綺麗だった。

オノは本来宿り木みたいなやつで、部屋代を折半にする為、いつでも誰かと一緒に住んでいた。オノはそこらへんちゃっかりしていた。

僕が高校を出て上京した時、オノは三カ月遅れて僕の部屋に転がり込んできた。出ていったと思ったら次は町田、あの東京だか神奈川だかわからないところで誰かと住んだ。どこから同居人を見つけてくるのか小一時間問い詰めてみたい。

それから二年経って、また僕らと同居することになる。渡り上手なのか、たまたまなのか、とにかく僕とアキラ、オノとチバが、同じアパートに二間の部屋を二部屋借りてそれぞれ住んだ。オノは上京して七年間、いつだって誰かと住んでいた。

 そんなやつが壁もまだ白い1LDRに一人で住んでいるのが僕には驚きだった。洒落てNFLのヘルメットの小さなフィギュアを棚に並べているが似合っていない。こういうのを飾るのなら綺麗にしてほしいものだ。ヘルメットは埃をかぶり、その下にまで積もっていた。気になって仕方がなかった。中窓に新しくカーテンをかけるのはいいが、裾が他の背が高いフィギュアに掛かって今にも倒しそうだった。これなら初めから何も飾らない方がましだと思った。あらを探し出したらきりがなかったから棚の上をいじるのをやめにした。
「今度のゴールデンウィークこそはどっか行こうぜ」

オノのパターンだった。いつもこいつは連休のことしか考えていない。
「いや、いつも会うだけ会ってグダグダして二日三日過ごすやろ?もうさ、あらかじめどこ行くか決めて、宿もとって予定立てて休日過ごさへん?」

オノは俺らが今まで予定を立てずにグダグダした休日しか送ってこなかったような口ぶりだが、全く違う。いつも切り出しはこうで、結局何も決めないまま休日になったことがここ何回か続いただけだ。
「どこ行くん?」僕が言うと「どこでもええけど、岐阜あたりがいいんちゃう?」とオノは言った。この「どこでもいいんだけど」とつけるところがオノで、いつでもこいつはどこでもいいと一言つけてから本題に入る。だがオノの中で場所はもう決まっている。
「アキラもお前も大阪やろ?チバは浜松やし、やっぱ直接現地集合するほうがいいやん。で、ここは間取って岐阜とかいいんちゃうかなって」
「予算は?」

僕は懐が心許なかった。次の仕事が決まるのがいつか知れず、貯金がいつまで続くかわからなかった。
「岐阜に二泊三日で色々遊んだりしてこみこみで五万くらいかなと思ってる」

驚いたことが二つあった。オノが宿まで調べていたことと、それに五万もかけることだ。僕は良い部屋に住んでいると金銭感覚まで変わるサンプルを目の当たりにしていた。僕にはとても出せなかった。
「五万か、考えとく」僕は少しかっこつけてしまった、悪い癖だ。
「やっぱ高い?でも一泊じゃゆっくり出来ひんし、バタバタするやん。昼過ぎ向こうついて温泉つかって寝て起きたらもう帰らなあかんやろ?それやったらもう一泊して一日ゆっくりしたほうがいいやん、それにもう予約入れんと部屋とられんくなるで」

オノが悪徳業者に見えてきた。オノを雇った社長は良い教育をしてると思った。最後の決断を迫るところなんて感心した。ごもっともと思ったが無い袖は振れない。だんだんと悲しくなってきた。期待には応えられなかった。
「考えておくよ」僕はそれしか言えなかった。

灰皿がいっぱいになっていた。タバコを吸う度にオノは窓を開け、始終窓は開けっ放しだった。
「あれ?前、誕生日でタバコやめるって言ってなかったっけ?」と僕が言うと「辞めたよ」とオノはおちょぼ口で紫煙を吹いて見せつけた。外の風が入ってきて部屋は寒かった。たまらず僕が窓を閉めると、オノはすぐに窓を開けた。オノのほうが薄着だった。きっと人より体温が高いのだろう。それに前にもまして太っているようだった。
「ジムの効果がでてないな」と僕が茶化すと「出てる出てる」とオノは軽く返した。今日みたくオノが買ってきた酒と刺身なんかを毎日食べているからこうなっていた。

オノは気が利くやつで、夜中仕事終わりにスーパーに寄り、酒や刺身を買ってきてくれる。残さずそいつを平らげて、僕はベッドの上で布団を体に巻き付けた。

ベッドも捨てられていたものを拾ってきたらしい。折りたたみベッドで傷みもない、飛び乗ってもしっかりしていた。まだまだ使えるものを捨てるやつの顔を見てみたかった。灰皿が一個しかなかったのは不便だった。おかげでタバコを吸う度に布団から出なくてはならなかった。
「いつ大阪帰るん?」
「再来週あたりやな、はっきりとは決めてないよ。こっちの知り合いにちょいちょい挨拶して」
「来週の土曜空けといてや、遊ぼうぜ」

オノはいつも休日のことを考えていた。遊びたくて仕方がないのだろう。誰かと何かしていないと、きっと死んしんでしまう、ウサギみたいなやつだと思った。

僕は大学に通っていた。フィルムを回して、映像を撮って喜んでいた。

仕事には全く繋がらなかった。就職活動をまじめに取り組まなかったからだ。

大学四年、卒業論文と卒業制作を作らないといけなかった。それを放り出して就職活動に精を出すことが許せなかった。二つともうまくすればよかったが、僕はそんなに器用な人間ではなく「どっちも」はなかった。「どっちか」しかなかった。

就きたい仕事もこれと言ってなかったのを言い訳にしていたのかもしれない。それで卒業制作がうまくいったかと言うと、そうでもない。途中で卒業制作も捨て、突貫品を見せる羽目になった。制作発表で出来の悪いのは僕だけではなかったが、出来の悪いやつらは揃って僕みたく落ちぶれた顔をしていた。出来のいいやつは揃って次をきっちり決めていた。

中野駅に遅れてやって来たジュンは何をするにも時間がかかるやつだ。何か喋らせても考えてしまい一拍遅れる。今日もこうして遅れて来るが、出来のいい物を作り、いいことを言う。それにどんなに遅れてもこうやって来てくれる。

中野を一回りして店を決める頃には僕らの足はくたくたになっていた。もう動かしたくなかった。小便すら行きたくなかった。尿瓶でもあればよかった。だが中野を回ってよかったとも思った。中野はすっかり変わっていて、駅前は特に新しくなり、妙に広くなっていた。
「そう言えば、俺らが成人式の時、中野区から招待状が届いて、縁もゆかりもないけど高校の連れと四人であの中野サンプラザに行ったんだ。あぁジュンは会ったことなかったっけ?アキラってやつ、俺と一緒に住んでた。そうそう、あとオノとチバ。こいつらは知らんか?それでいちいち大阪に帰る金もなかったから、成人式の日、みんな家で暇してたんだよ。昼間から暇してるのもなんだし、冷やかしにそこに行こうってなったんだ。それで行ったら丁度なんか誰か有名か知らないけど若い子が演奏してて、客席真っ暗で入りずらいなって入口のとこで立ち見してたんだ。それで聞いてたらめっちゃハウリングしてて、聞きづらくてね。それでウンザリして式場出て小ホールみたいなとこでパイプ椅子あったからそこに座って『ハウリングひどかったな』とか喋ってたんだ。それですぐかな、あっさり式が終わってしまってね。仕方ないから出てくる女の子の和服姿眺めてたんだ。綺麗な子いないかなって出ていくやつら見てたんよ。そしたらやっぱみんな綺麗にして来るんだよ。その時俺らパーカーとかサンダルとか部屋着だったから、恥ずかしなって、すぐに出たよ。それで入口の脇に喫煙スペースがあったから四人でタバコ吸ってたんだ。今思うと相当がらが悪いね。そしたら芸能人の、名前忘れてしまったけど、ドラマとか出てる、イメージ違ったな。厳つい袴はいててね、周りにいるやつもヤンキーでさ。さっき中野通り通ってるときに思い出したよ」

ジュンはあまり話さない。僕といる時は大体僕が話していた。僕が話さないとすぐに二人とも黙ってしまう。僕はあまりそういう空気は好きではなく、友達同士だと特にそうだった。だからこうしてまくしたてる。それに酒が入ると僕は僕のことを余計に話したくなる。ジュンと飲んでいるときはなおさらだった。ジュンは聞き上手だった。だが相槌を打ち、何か僕に質問するわけではない、僕は祈られてやしないかと気が気でならないことがある。聞いていないことを話されるのは大体苦痛で、オヤジさんには悪いが、僕は祈りはするが、祈られてると知れば多分立ち直れない。

僕はジュンが分からなくなる時があった。

いつも僕は話すことがなくなるとジュンにも話してもらおうと色々聞いたりする。それも変な質問形式であざとく嫌になる。

それでもその日はジュンのことを色々聞いておきたかった。別にそれで何がどうなるわけでもないが、聞き貯めておこうと思った。

ただ店が悪かった。安い居酒屋で隣と仕切りもない。回りの客はみんな歳食ったおっさんばかりで笑い方が下品で大きく耳障りだった。おまけに日本酒が薬みたいな味で、甘さなんてこれっぽちもなかった。たまらずウーロンハイを頼んだが、これも濃く、やはり薬みたいな味がしてウーロンを微塵も感じなかった。ただ色の付いた薬だった。君はイソジン飲みながら話ができるかい? 仕方がないから、僕はウーロン茶を頼んでジョッキを二つ並べ、薄めながら飲んだ。
「仕事はどう?」僕はジュンに聞くと「うーん」と漏らして考える。ジュンは頭の中でまとめてからでないと話せない。
「まぁ忙しいよ」もったいぶるのはジュンの悪い癖だった。僕はジュンをじっと見ながらイソジンを飲んだ。
「今まで下っ端で、ディレクターの手伝いだったんだけど、今度総集編の回だけど一本任せてもらえることになったんだ」僕は不純に喜んだ。
「すごいじゃん!そりゃあ大変そうだ」
「来週からそれを作り始めるんだけど、色々先輩に聞きながらだろうね。プレッシャーがすごいよ」

僕はこういうシナリオを勝手に思い描いていた。

ジュンは下っ端のまま行き詰っていて、僕は微力ながらも平易なアドバイスを伝える。ジュンは何か拓けて僕も何か満足できると、そう頭の中で妄想していた。

だが世の中は話が違っていて、思いのほか僕の意思と関係なしに進んでいた。あの卒業制作の時点から僕とジュンでは違っていた。ジュンは良い物を作る。こうやってイソジンを置いてタバコ吸い付けてみても、話の間は待ってはくれない。
「そういえば卒制は進んでる?」

別に僕は話を逸らしたいわけではなかった。ただ、ジュンの優しいキャラクターが動く映像を思い出していた。

僕らが大学四年時分、作っていたのはアニメーションだった。それがたまらず口から出てしまった。僕はいらないことを言ってしまったと後悔した。ジュンは凝ってしまって卒業制作に間に合わなかった。作りかけを出した。アニメーションは手がかかる。それをジュンは一人で作っていたのだ。一枚一枚丁寧に描いていた。君にも見せてあげたいぐらいで、とてもかわいい女の子が淡い色で動く。それは優しかった。それを今、大切な仕事を迎えようとしているジュンに思い出させるのは酷なことをしたと思った。
「うーん、少しずつだけどね。でも当分は手つけれそうにないかな」
「二兎追うもの一兎も得ず、だね」嫌なセリフだと思った。
「小説は書いてる?」ジュンはそう切り出した。僕にとっては、性病やインポテンツぐらい聞かれたくないことだった。
「書いてるよ、読む?」

僕は携帯電話に保存していた原稿を開いてジュンに見せた。

おっさんがタイムマシンで現代に来てしまう短く下らない話だった。仕事にも飽き、家族サービスもこりごりのおっさんは一人タイムマシンで過去に行ってバカンスしようと旅立つ。そのタイムマシンが壊れ、予定よりもずっと過去の現代に落ちてしまう。おっさんは現代人に保護され、未来人が来たと言って現代の世間は大騒ぎ。おっさんは一躍有名人になってロイヤルファミリーばりのもてなしを各国で受ける。だが現代のアトラクションやレジャーなんて未来から見ればちゃちなもので、おっさんはつまらなかった。とうとう逃げ出して、中国の片田舎まで逃げ込んだ。逃げきった村はいわゆる桃源郷で畑を耕しながらおっさんは住み着いた。居心地が良かった。そこでの生活が何よりも楽しいと、そう思うようになる。だがおっさんには未来に家族なんかいたものだから結局帰ってしまう。

店内はいよいよ忙しくなって、店員はジョッキ五つに氷を詰め込み、コックから焼酎を次々とそれに半分まで注いだ。それに緑茶や巨峰ジュースをペットボトルを凹ませてゴボッと一気にそれで満たした。割りものが勢いよく出て、隣のジョッキに混ざっていた。全部済ますと片手でジョッキ五つ、ガシッとつかむとテーブル席の真ん中に「お待たせいたしました」と、ドンとそれを置く。すると後ろの客が「すいません」と声をかけた。「ただいま」と大きな声で店員は応え、振り向きざまズボンの後ろポケットあたりに吊ったオーダーを記録するハンディーをサッと取り出して注文を受けた。別の店員が僕らの隣の席を片付けて拭き上げると、店長はすぐに入口で待っていた客をそこに座らせた。すると客はすぐに「生四つ」と店長に注文すると「生四つですね」と言って「三番さん生四つ!」とパントリーに向かって叫んだ。パントリーの上には十五インチ程のテレビがあり、ニュース番組が流れていた。ただ店内のガヤがひどく何も聞こえなかった。テロップで誰が捕まっただとか首相が何か言っただとかタイトルでしか伝わらない。それ以上何もわからなかった。僕は口をパクパクさせているアナウンサーの顔を眺めていた。

ジュンは「読みましたよ」と言って僕に携帯電話を返した。

僕はジュンのほうを向いてそれを受け取った。ジュンはここでも長考した。この時が一番長く思えた。堪らずタバコを咥えてライターの火を出した。ガスがシューっと鳴った。それが燃え移ってタバコの葉がチリチリと音を立てた。口の小さな隙間から吐き出すと煙が唇に掠れたのが聞こえてライターに似ていると思った。
「SFてのは少し驚いたよ。情景を思い浮かべながら読めたから楽しかった。なんかリラックスした雰囲気があるね。桃源郷のとこは良かったよ」

ジュンが描く女の子も優しいが、ジュン本人はもっと優しい。それが玉に瑕だった。前半は粗筋を読まされてるみたいでうんざりしたに違いないのに、ジュンは良かったと言ってくれる。
「SFにしようとは思ってなかったんだけどね。楽しかったなら良かった」

それなのに僕はそう答えてしまった。

情けないと思った。未来から見ればエンターテイメントなんて全部クソだと、僕は若者らしいアンチテーゼを前半にくっつけてしまっていた。誰が読んでも僕のほうがクソだとすぐわかる。ジュンもそれに気づいてるはずだ。だからそんな取ってつけたテーマには何一つ感想を言わない、僕もあえて聞く気にもなれなかった。わかってることを言われるほどつらいことはない。

だが書いているうちに「俺はただ、今どこに行きたいかなって考えたらそれは桃源郷だったんだ。桃の香るいい村なんだ。村の人はみんながみんなを知っていて気軽に声をかけるんだよ。働ける人はみんな働いているんだけど、気が狂うほどは働かないんだ。日が落ちる前には帰るんだ。帰ると家族で囲炉裏を囲んで、味噌汁でご飯食べるんだ。別にフランス料理のフルコースなんていらないんだ。タバコと少々のお酒があれば満足さ。たまに事件があって悲しくなっても笑い飛ばしてそれで仕舞いさ。寂しさなんてないんだ」つまらないと言って出ていくやつも中にはいるが、数年したら戻ってくる。それを温かく何事もなかったように受け入れる。思わず言葉に漏れていた。
「今何か書いてるの?」
「書きたくなったら書くよ」僕は少し笑ってしまった。

僕は卒業制作を放り出して学校にも顔を出さなくなってしまい、教授に呼び出されたことがあった。やっこさんは不思議な顔をして僕を見ていた。

僕は真面目だった。そんな僕が急に不登校児みたくなたものだから、やっこさんはわからなくなってしまったのだろう。

説得され「なんでもいいから出しなさい」とそう言った。だが僕には逆効果だった。天邪鬼で「しなさい」と言われるほど「しません」となってしまう。僕は折れず、僕が帰った後、数日してやっこさんは僕の姉に連絡したらしかった。意地悪をされたと思った。僕は姉には弱かったのだ。オノとチバ、それにアキラと四人で遊んでいた時、姉に電話で怒鳴られた。

それでその日一日で仕上げた、人を苦痛に思わせるだけの映像を作ってしまった。発表の時は散々こき下ろされた。

一年かけて作ったテイのものが、夜中、酔い醒ましに友達三人がラーメン屋へ赴きラーメンを食べるだけの映像だった。誰も何も話さない、ただ夜道を歩いてラーメンをすすっているだけだった。それも安物のコンパクトデジタルカメラの動画機能を使って撮ったせいで画面が始終汚い。ひどいものだった。

それでも晴れて卒業出来たのは僕が文章を書くのが好きだったからだ。卒業するためには卒業論文も書き、これの出来がどうもよかったらしい。僕は書くのが面白くなり、先生に訂正をもらっては推敲した。それでその担当の先生が教授に色々と言ってくれたらしかった。「あの子は熱心に私の授業を受けてくれました」とかなんとか言ってくれたのだと後で聞かされた。

それで卒業生として認められ学生証と引き換えに卒業証書を貰った。一緒にパンフレットだったり後援会の申込書だったりつまらないものも押し付けられた。

その中にその論文の文集もあった。岡田の論文から始まって、ジュンの次に僕のが載っていた。順番になっていた。出来のいい順番だった。ジュンってやつはいつだっていいものを作っていた。

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