徒歩十分のロードムービー / 第ニ話

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グラウンドに迷彩柄のヘリコプターが近づいてきた。周囲はうるさくバリバリと鳴った。

地面すれすれで静止して、ゆっくりと地に足を着けると、徐々にプロペラが黒く見えてきた。そいつが二つに割れたように見えると音が小さくなり「…ったら潜りに行きたいんだけど、今年はダメかもね」と僕の前を歩いてるオヤジさんが僕に話しかけていたのがやっとわかった。

正直聞きたくなかった。僕は八方美人で、オヤジさんの話を聞いてしまうと意になく相槌を打ってしまう。そうなると向こうの調子で、気ままに話しを進めてしまい、もう誰も止められない。二人で話して、僕は止めないのだから、相手が話に飽きるのを神に祈って待つだけになる。今もそうか、半分は祈っていた。

この背筋のシャンとしたオヤジさんは僕よりもずっと偉い。先任上級曹長と言って、軍隊は部隊が数あり、そんな中の一部隊の下士官の一番だった。つまりは僕の所属していた部隊のナンバーフォーだ。とても偉い、オヤジだとは口が滑っても言えないが、それでもやはり僕にとってはオヤジさんだった。生きのいいオヤジさんで、スキューバダイビングをやっていた。肌も冬だと言うのにこんがり焼けて、毎年休みがあれば海に行っているような、元気なオヤジさんだった。一月前にオヤジさんは腰を悪くして、診るとヘルニアだった。背骨の間にある肉がはみ出し、すごく痛いともらしていた。まともに歩けず、背中にブロック注射をやってもロボットみたいに隊舎の廊下を壁に手をつき歩いていた。それでも海に潜ろうとする気力に僕は感心してしまった。今ではずいぶんとよく歩いていた。

始終海の話で、そろそろ全力で神様にお祈りをと思った折「そうだ、お前は潜れないよ」とオヤジさんが言った。僕は急にその話に興味が湧いた。生まれてこのかた、海の底で魚と戯れたいとこれっぽっちも思ったことはなかったが、なにか気になった。「気胸になると潜れないんだ」とそう言った。気胸は肺に穴が開く病気で、僕はそれを患った。手術までした。手術と言っても、大げさなものではなかった。癌だとか結核だとか、臨終の覚悟などもない。軽く侮っていたところ海に潜れないと聞き驚いた。

この道は歩きづらくて仕方がなかった。まだ雪が残り、その上を考えずに何人もが靴底に鉄板の入った重たい靴で踏んで行くものだから、すっかり固まってしまっていた。それがよく滑る。頭を打ってまたあの病院に連れていかれるかとひやひやした。病院はごめんだ。何もすることがない。潰せるだけの暇なら楽だが、体にチューブを繋げ寝返りもうてず、寝れもせず、本も読み飽いて手持ち無沙汰で過ごすとなると話が違う。あそこにはもう戻りたくない。この雪は頭に来る。自転車で過ぎるやつもいたが、ふらふらとハンドルを取られて危なっかしい。折角いいコートを着て、見ていられなかった。

神様が僕の願いを聞いてくれたのか、警衛所に着いた。自衛隊らしく出入りはうるさい。何をするにも書類が必要で小銃を一発撃つにも、食堂で飯を食らうにも書類がいるのだ。きっと僕が知らないところで、僕が息をするにも書類を作っているのだろう。もちろん僕がここから永遠におさらばするにも書類が必要だ。三ヶ月がかりで拵えた「○○一等陸士の退職を承認する」と言う作文をオヤジさんは警衛に見せ「あい、わかった」と僕を通してくれた。ただの人に戻ったのは一年ぶりだった。
「実家に着いたら連絡しろ、あと仕事が決まってもだ、メールでもなんでもいいから」

大人はいつでも報告させたがる。
「先任、とりあえず上野の友人の家に行こうと思ってるんです」
「実家に帰ったらでいい」

僕は東京の知り合いに会い、それから大阪の実家にひっこもうと考えていた。それまで上野のオノの部屋に厄介になる算段だった。

オノは高校時代からの友達で、何をするにも適当で軽いやつだった。みんなで何かしようと連絡が回ってきたとしたら言いだしっぺは間違いなくこいつだった。なんでもかんでもしたがりで、オノが日々考えていることは、やつの出版の仕事ではない。次の休みにみんなで何をするか、そればかりだ。どんな時でも誰かと何かをしたくて日々たまらなくうずうずしている、そんな落ち着きのないやつだ。

僕らが箱根に一泊二日で温泉へ行った時でも、このオノはいた。草津も湯河原も、僕のアルバムをひっくり返して、こいつが写っていない写真を探そうとしても無駄で、僕の小旅行はいつだってこいつが「次の連休どうする?」と言う言葉から始まっている。うずうず病を常に発症してるイカれたやつだが、オノがいないと、僕はどこにも行ってなかったとも思う。

僕は出不精だった。特に行楽地や観光が苦手で、温泉に肩まで入りさえすれば来てよかったと心の底から思うが、浸かるまではなぜこんなにも時間をかけて、電車の固いシートで尻を痛めながら、わざわざ来なくてはならないのか、ずっと不満に思うたちなのだ。衝動での一人旅はあったが、快楽の旅はオノがいないとどこにも行こうと思わなかった。

そう言うとオノが必要不可欠な人間と思われるがそうではない。オノにもダメなところはある。もちろんイカれているのもあるが、オノは全く計画を立てない。どこどこに行きたいというくせ、宿を決める段になると途端に他の誰かに任せようとする。これには参ってしまう。箱根に行こうと言った張本人が宿を決めない話はない。オノだけは何か箱根に興味を持って僕たちを誘ったのだから、何かしら箱根について知っているはずだが、オノはその全部をくしゃくしゃに丸めて僕に投げつける。

朝霞駐屯地の衛門を出て携帯電話を見るとオノから「ごめん、遅くなる。十一時くらい」とメールがあった。オノにはこういうところがある。ドタキャンの回数で言えばオノは僕の僅かばかりの交流関係でダントツの一位だ、それも二位をずっと離して文句なしの一位だ。一度や二度ならまだしも、人の予定を狂わせるのが趣味と疑うぐらいひどい。それもいつも決まって土壇場で、こういうメールが今からと言う時に届く。見られているのではないかと背筋がぞっとすることがある。

僕は寒くて凍えそうだった。雪で冷たく、おまけに曇って陽の暖かさもなかった。まだ朝の早い川越街道は大型の牽引トラックがたくさん往来し、通る度に風が吹いて余計に寒かった。道路に積もった雪が、ちょうどかき氷を半分食べたぐらいのみぞれで、土や排気ガス、タイヤのチェーンで削れたアスファルトが混ざって黒くなっていた。このかき氷は食べたくない。横断歩道でみぞれの山を踏んで靴の中が濡れて嫌になった。

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