女の話を淡々と書く

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僕と女の接点の話。

初恋が初めての女だったが、芽が出るまで育たず根腐れした。高校2年の河川敷、次の春を迎えずにそれは終わった。理由は聞かなかったが、つまらない男とその顔が言っているのは分かった。それから今になっても、その女を超えるような女とは出会わなかった。孤独で綺麗な女だった。出来た女だった。あとに会ったのは間をあけて三度、三度とも同級の墓参りだった。四度目は僕から投げた。酒と仕事で潰れた西新宿三丁目の裏通り、2年ぶりの電話で「結婚してくれ」と言ったらそれっきりになった。電話番号はもうない。

こんな僕でも惚れられることはあったらしい。上京の日、夜行バスで出る僕を見送ってくれた優しい女がいた。その際、手紙をもらった。車内であけると思いの丈が綴られていて、応えられない旨をメールで伝えた。正解だった。七年経って帰郷した日、友人伝いにその女は幸せだと聞いた。

大学の女がいた。付き合い始めた三日目、生理が来ないと相談された際前の男との最後を聞かされた。「そうか」と言って色々調べてどうするか話している内に日が経つと月が来て、ただ体調が悪いだけだと分かった。その女と別れたのはそのあとすぐで、原因は僕が作ったブリの照焼を納豆につけて食ったのが許せなかったからだ。

浅草に綺麗なロシア女がいた。水商売の女で言葉も通じなかったが、拙い英語と20万で何とか二人の食事に連れ出せた。ステーキ屋で話したことで覚えているのは、「レアはダメ」「来月ロシアへ帰る」の二つだけだった。大学生の夏季休暇の間だけ日本に来ただけだった。残ったものも二つ、ロシア語入門と借金20万。

自衛隊の夏に同期の女に好きだと告げた。その日の街からの帰り際、電車で手を握ったが女は一瞬表情を変えた。ダメなんだと思った時に、「汗っかきなんだ」と女は言った。教育隊を離れ部隊配属で職場は別れた。僕が辞める際に助教(教育隊の先生)との相談で、僕が「女がいればまた変わったのかもしれません」と口走ったことは今でも驚いている。

鶯谷で女を三人買った。別の女を一回づつと同じ女を二回だったと思う。一回目は話の切り上げ方を学んだ。二回目は雰囲気がいいと二回出来てお得だという事を学んだ。三回目は知らない女とは行為より話している方がずっといいことを学んだ。四回目は三回目と同じ女で、女の話はすぐ飽きることを学んだ。売春婦に五回目はなかった。いんきんたむしをうつされたのはきっとこの時だ。

実家へ帰ったころ処理に困って金もないから試写室に入った。選んでいる時が一番楽しい。果てるのも回を重ねるごとに早くなる。20分500円の店で十分になった頃にはそこへ行くのも煩わしくなった。最後に試写室で見たのは半沢直樹の第一話の10分だった。それ以来利用していない。

飛田の通りを練り歩くとなんとも気持ちがいい。女とババアがこちらに向かってニコッと笑う。こっちも笑ってはぐらかす。そしたら、気のないことがすぐに知れてさっぱりする。店じまいも早くて気持ちがいい。帰りがけにポルノのレイトショーひとつ観て帰る。夜風が僕を引っ張って、昔寂れた遊園地があった所に連れて行く。今はパチンコ店に変わって騒がしいが、昔はその6階にいい映画館があった。その閉館の日に「タクシードライバー」の回顧上映をしていて、ひとりでそれを観た。冬の日の休みで主人公と同じジャケットを着て鑑賞したのを思い出して、初デートでポルノはねえだろと笑った。初めての女との初デートもそこだった。なんの映画だったかは思い出せない。

おわり

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