芸能人の不倫の批判は別に当人を反省させたいためにしている訳じゃない

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数々の芸能人と称される人々が不貞で頭を下げてきたらしい。

今年の初めにもベッキー氏が関わる不倫が公になり、謝罪した。
この件に関して、ネット上で表現媒体問わず、否定派、擁護派、野次馬の三つどもえの乱戦が繰り広げられるに至ったのを見ると、ベッキー氏の影響力の大きさ、芸能人の影響力の大きさを改めて感じさせられた。

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芸能人の不倫がバレても批判されない世の中は善いの悪いの?

僕の結論を先に言えば、「恋愛は不倫でもなんでも当事者同士の枠をでないから自由にさせとけばいい。だが、影響力のある人間の不倫が露見し、その不倫を肯定してしまうと、『不倫ってやっていいことなんだ』と勘違いする馬鹿が増える恐れがあるから、社会が一定の批判を注いで『不倫ってやばいんだよ』と示す必要が出てくる。だから、不倫するならするでコソコソしてもらって、社会はゴシップなんて低俗なものを収集したり、真っ昼間のワイドショーなんかでやるのはおよしなさい。」というのが僕の意見。

長いので、センテンスをスプリットして説明したい。

そもそも恋愛は不倫でもなんでも当事者同士の枠をでないから自由にさせとけばいい

恋愛といっても幅が広いので、ここで語るのは恋人同士の身投げとか痴情のもつれによる殺人とか、刑法に引っかかったり人が死んだりする重大事案に関わらない、最悪お金で解決できるレベルまでの恋愛と考えて貰いたい。

そもそも恋愛は各々自由にすれば良くて、端がとやかく言う話ではない。当事者同士が会話やスキンシップや裁判などを経て、関係が良いところに落ち着かせることの連続が恋愛や交際なのであって、本来は当事者の枠をでない。

なら、なぜベッキー氏に対して批判を向けるかといえば、「影響力のある人間なら」という厄介なことがあるからだ。

不倫、不貞ははびこっていい性質のものなのか?

善くない。

人間が、というより生物がと言ってもいいかもしれないが、生きていく上で「安定性」は極めて重要な要素だ。
毎日食う物が欠かない、毎日決まった時間睡眠をとる、といったことを思い浮かべてくれればわかっていただけるだろう。
もちろん「社会」や「国」といった集団もこの安定性が重要であることから漏れない。

子孫を残すには、1体のオスと1体のメスがつがいになることから始まる以外にない。
その原初のつがいが産まれた子を育てることは安定的とみることができ、それはまた自然であろう。
しかし、どちらかが別の個体と生活したり、別の個体と子をもうけたりすると、先の継続的な関係と比べれば安定性に欠けると言わざるを得ない。
簡単に言えば、父と母がいないよりはいる方が概ね良い場合が多いよね、という話。
実際、シングルマザーや子供の貧困などといった形で問題が浮かび上がっている。

子孫が不安定にさらされるのを国や社会や家族は黙って見過ごすことはできない。
かつて、我が国ではそんな安定性を確保するために姦通罪を用意していた。
だが、男女平等に反するとして、廃止に至った。
もし不貞がはびこるのなら、男女平等な姦通罪を作るのも一考の余地が出てくるが、刑法化するより道徳的に不倫などが行われないようにする方がずっといいだろう(恋愛ごとを政府がとやかく言うのは問題をはらむ)。

ここで、影響力のある人間が登場する。
道徳は長い慣習によってもたらされるものだが、道徳は時代時代によってゆっくりではあるが常に変化していく性質を持っている。
その変化をもたらす力を有するのはいつも影響力のある人間だった。

ベッキー氏が恋愛観に関して影響力があることはすでに述べたとおりだ。

そんな恋愛観に関して影響力のある人物が家庭や子孫に不安定性をもたらす不倫を行って、それが肯定されればどうなるか?

”影響力のある”ことが味噌で、影響力がなければそもそも見向きもされない。
社会がその不倫の行く末に注目することによって、不倫に歯止めをかけていた道徳が変化し、初めて歯止めにならなくなる可能性が出てくる。
実際行われた不倫を社会が肯定したからだ。

それではせっかく築き上げてきた安定性の一部が決壊することになる。
だから、それに土嚢を積む意味で、批判がなされなければならない。

「不倫するのも当事者同士の話で、周りがとやかく言うのはおかしい」という意見は、国などの大きな集団、共同体に属していることを忘れた意見だと断じざるを得ない。
そのような意見はあなたとパートナーの間だけで話せばいいことだ。二人の世界なら「お互い不倫してもとやかく言わない」という決めごとをしても差し支えないが、そんな馬鹿な決めごとを大多数の人間がした日には恐ろしい。
「お互い不倫するのは当たり前でしょ?」という意見に力が宿ってしまうことは、それはそれは恐ろしい。いつ不義を働いているかわかったものではない。
突然子供が出来るなんてことが起こるのも目に見える世界だ。

もちろん、そんな世界が革命のごとく一夜にして訪れるわけではないが、塵も積もればで、道徳は少しずつしか変化しないことに恐ろしさがある。
未来がどうなるかなんてことは誰にもわからない、現在生きる人のそんな単純な思想が後世で化けることもあるかもしれないのだ。
だから、『不倫はやばいんだよ』としておく方がいい。そうして来た今までがそこそこ良くやってきたように評価できるからだ。

「恋愛は自由だ」と「不倫はダメだ」は相反するんじゃないの?

相反する2つを同時に成り立たせる時には知恵を絞らなければいけない。
その知恵が、コソコソする、ということだ。
要は、影響力のある人物の不倫がバレるから、世間に「不倫もよし」って考える力が働いてしまう可能性がでてくるわけで、ならバレずにすればいいだけの話なのだ。
(先の既婚男性の配偶者にという意味ではない)

ただ、それでも生活がかかっているゴシップ記者から逃れるのは相当な修羅場をくぐり抜けてきたような人にしかこなせないようにも思え、無茶な注文に聞こえる。
だから、そもそもそんなゴシップが売れない世の中になってしまうのが良いんじゃないか? と僕は考えるに至った。

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