つい最近憲法記念日だったので日本国憲法について素人が考えてみた

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まず、日本国憲法に関する僕の立場なり思想なりを表明しておく。

僕は日本国憲法を廃すべきだと思っている。廃憲だからといって大日本帝国憲法に戻せと言っているのではない。憲法は制定しない、不文がより望ましいと考えている。

なぜかと言えば、日本国憲法が悪い意味での固定概念になってしまっていて、我が国では根拠も妥当性もかなり怪しくなっているものを前提として話が進んでいるように見えて、肝心要の広い視野を以てとらねばならい将来への舵取りを、誤るのではないかという危機感があるからだ。

つまりは、法制局の解釈云々、政治家や東大あたりの憲法学者のお遊びにもう付き合いたくない。

憲法がなければ、時折訪れる具体的な問題に対して、常識を依り代にするしかなくなるから望ましい。

例えば、北朝鮮の工作員に邦人が拉致された場合を考える。

本来ならば、治安維持の観点から拉致された同胞を救うべきか否か、感情の観点から救いたいのか否か、国際情勢を考えて武力を行使すべきなのか否か、軍事力を比較し救出は可能か否か、作戦を立てその成功の可能性はどれほどあるか、救出に当たっての被害はどれほど想定されるか、その被害と天秤にかけ救出すべきか否か、言い出せばきりが無いがそう言った多種多様な観点を総覧して行動に移すべきだと僕は思う。

だが現状どうなっているかと言えば、憲法があるから、もっと言えば憲法九条があるから軍事行動は取れない。だから外交でしか方法がない。結果見殺しになるだろう。と、こうなっている。

こんなことを繰り返していたらきっとそのうち、いや、もうなっているかもしれないが、応用が効かない馬鹿になってしまうのではないか? という懸念が浮かんできて仕方が無い。マニュアルは手段において有用だが、根拠になった途端に害になる。

結論、憲法ごときに僕らの想像力を規定されてたまるか。

さて、本題。

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他の問題となっている条項を改正しやすくするために96条を改正すべき論

僕の憲法観からすると、憲法論議なぞするのは無駄で、さっさと成文憲法なんて止めにして自分の頭でみんな考えようぜ。となるのだが、結局極論に見られて終わりにされるので少々論じてみたいと思う。

まず副題の考え方だが、正道を外れているとしか思えない。

ましてや、議会の三分の二、国民投票で過半数ごときをクリアできないで何が改正か。実際、そのハードルがあっても改正している国も在ると聞く。

なぜこの論を唱える人はこのハードルでは改正出来ないと考えるのか。

それは、投票権を持つ国民の一定数は日本国憲法の全文を読んだこともないからで、大多数は各条良いのか悪いのかを考えたことも無いからだと、薄々気づいているからに他ならない。

そもそもどんな条文が書かれているか主権者と規定されている人間どもの大多数がよく知らないものに憲法として存在価値があるのか?

僕は無いと思う。

前文の日本語としておかしい部分をまず変えよう論

石原慎太郎氏が唱えていたと記憶している。

日本語としておかしい部分を変えようと言うなら、なぜ九条の第二項も変えようと言わないのか? 誤植なら7条にも「国会議員の総選挙」だとかもどうするのか? 一緒にするのか?

僕には、「重要なところは改正が否決される可能性があるから誰しもが賛成するものを一番に持ってきて『改正出来るんだ』という空気を作ってから、本丸である九条なりを改正しよう」という政治的な思惑が見え見えで、この論法を聞くだけで嫌になる。

馬鹿にするのもいい加減にしろと言いたい。

九条と安保法制云々

現憲法で自衛隊を照らせば、違憲であり、存在してはならない。

ただ、ほぼほぼの人は自衛隊はなくてはならないと考えている。

このねじれを考えるのは、国民の総意が成文化したものが憲法なのか、それとも憲法として表現したものが国民の総意となるのか? という疑問を考えることと同義だと思う。

もっと言えば、「どうやら日本人ってのはこういうやつらの集まりらしい」というのを少数の人間が分かりやすく文章にするのか、少数の人間が「こういう国がいい」という通りみんなが従うのかの違いを認めないから訳のわからない事になっているのだと理解している。

僕は九条なんぞあるせいで、軍隊を持たないで生きていけると勘違いの花畑が咲き乱れてしまうのだと思っている。

さて、憲法とは離れるが平和安全法制について一言。

これが可決されたその日、僕は横田基地近くに住む同期(自衛隊の教育訓練時の同じ隊にいた友人)に電話をかけた。そいつもすでに退職していたのだが、口を揃えたのは「まだ退職していない同期が心配」だということだ。

僕は現在我が国が米国の要請を断れないだろうと考えている。それがいかにきな臭いものであったとしてもだ。それで意になく深手を負うのは言い出しっぺのアメリカ人でもなく、日本にいる日本人でもない。自衛官だ。

他人事だから、SELDsなどのトンチンカンなことを言うし、サイレントマジョリティは無関心なのだ。自国の軍隊が他人なのだ。

それと同時にテロへの懸念を覚え、横田基地などの在日米軍基地が標的にされるのでないか? という懸念も持った。同期も恐怖していると僕と同じ感想を漏らしていたことを他人事の大多数はどう考えるだろうか?

押しつけ憲法論

押しつけられたからなんだというのか? GHQにいいようにされたからどうだというのか? 気分で政を論じないでもらいたい。

これも誤植から変えようとか、96条から変えようという卑屈な精神と同じにおいがする。

本質で論じるべきだ。

どういった憲法を持てば日本は良くなるのか、悪くならないのか。

いや、憲法を持つ方が良いのか、持たない方が良いのかを論じるべき。

近道のつもりが知らない道に迷い込み結局余計に時間がかかるように思えてならない。

平和憲法という誤称

確かに、自衛隊がベトナム戦争などに派兵されなかったことは「平和憲法」のおかげだったかもしれない。

「平和憲法」という呼称に、反対派はよく、「憲法があったから日本が平和であったわけではない。日米安保、核の傘etc」という反論があるが、それでは上の論理を覆すには至らないだろう。反対派のこの文言は他国から我が国への攻撃がなかった理由を説いているに過ぎないからだ。上の論理は我が国が他国へ攻撃することを説いている。

ただ、やはり、我が国が他国へ攻撃を加えなかったことの理由が「平和憲法」にあったとは言えない、いや、言いたくない。

政治、特に軍事行使は利害や理想を存分に含んだ上で行えるものだろうと思う。

出来ることなら、米国のうさんくさい軍事要請を断る理由を、「うさんくさいから」だと我が国は自分の脳みそを絞って結論を出してほしいのだ。

もし護憲派の言う憲法があったから日本は戦後から今まで他国への攻撃をせずに済んだという理由で「平和憲法」と呼称するなら、シーレーンが封鎖され、石油が絶え、日本全国で停電し、車両が動かなくなり、ライフラインが絶え、死が蔓延したとしても「平和憲法」だと高らかに謳っていただきたい。

きっと皮肉にしか聞こえないだろう。

憲法を行動の根拠にするな。

大日本帝国憲法に還れ論

いろんな根拠を用いて、大日本帝国憲法に戻ろうという論がある。または、現代と不整合な点を修正した上での回帰を唱えている。

僕はこれは無理があると考えている。

成文憲法には枝葉の部分と幹たる根幹の部分が在ると思う。

枝葉末節はいかようにでも調整すればいいだろうが、根幹を変えることはすなわち革命に当たるだろう。革命は何も暴力によってだけではない。

帝国憲法の根幹は第一章の天皇に関する計17章だと僕は考えている。これを現代日本人の常識になるか? と問われれば、悲しくもそうとは言えないだろうと見受けられる。

もし、これを現代に合わせて主権を国民に存すると改正したならば、もはやそれは帝国憲法ではないし、それは帝国憲法回帰論者の嫌う宮沢俊義の言う八月革命を現代で実現させる悪手だろうと思える。

今上天皇陛下に我が国の統治を誰が奏すのか? そもそも陛下はまたこの国を総覧して下さるのだろうか? 帝国憲法といいながら、陛下をないがしろにした考えであろうと僕は思う。

立憲主義について

最近安倍首相が立憲主義に反しているという声が聞こえる。

ただ、安倍首相が云々言う前に、最高裁判所が法律が憲法に逆らっていないかの判断が、実際に誰かが害を被って憲法訴訟をするしか我が国では法律や政府の行動を審査する事が出来ない時点で立憲主義とは呼べないのではないだろうか?

あと、そもそも立憲主義を貫くことは民主主義下で可能なのか? という疑問もある。

ヒトラーの例を出すのは少々違うかもしれないが、実際にヒトラーは憲法に則ってあんなことやこんなことをしでかしたわけだ。

ポピュリズムの懸念は現代の我が国でもささやかれている。

僕は、立憲主義それ自体が肝心なのではなく、民主主義をとるならば、後生へ続く安寧を守り続けるような政治家を選挙で選び続けるにはどうすればいいのか? が肝心なのだと思う。

そのためにはどういった思想は危険だったのか? 国が滅びるのはどういった理由があるのか? 平和であっても不幸である環境はどういったことで起きうるのか? といったことを歴史の中からすくい上げ、それを国民ひとりひとり知ることでしかなし得ないだろうし、また万機公論に決すしかないだろうと思う。

常識を絶やすことだけはしてはならないだろうとは思う。

思う思うばかりだが、指導者の選定はプラトンの時代からの難題なので、到底僕ごときじゃびくともしないわけで……みんなで考えましょう。

護憲派に対して

シーレーンが封鎖されて石油が止まったとか、北朝鮮からのミサイルが落ちたとか、チャイナが実力行使してきたとかあったら、もっとちゃんとした軍を保持しておくべきだったと、たぶん僕はそう後悔すると思う。

もし、自衛隊法にしばられた故に一矢も報いることが出来ずに同期の誰かが果てたなら、僕はたぶん護憲派の方々を許せなくなってしまうだろうと思う。別に何か実力行使で云々することは絶対にないが、心の底から憎むと思う。

岡戸違いだとしても、恨んでしまうと思う。

残念だが、僕はそこまで理性的には生きられないだろう思う。僕は残念ながらロボットではないからで、根本には感情が存在している人間でしかない。

終わり。

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