パリ同時襲撃戦に見る三つの視点

シェアする

一個班ほどのごく小規模集団による戦闘行為がパリであった。日本の報道や反応が気になったので、僕の狭い知見ではあるが、三者の視点から物語ってみたい。

広告

フランスを主人公とした今回の事件(一般的な報道)

「俺たちフランス人以外、特にイスラムってヤツラは野蛮そのものだ。ヤツラがその気ならやられる前にやってやる。」

なんて恐ろしい。今また、パリは燃えているのだ(パリ銃乱射事件)。同胞の命が何百発という凶弾に倒れた。この弾丸に理性の一欠片だってありはしない、ただただ残虐なるままに、本能の赴くままに、野蛮なままに、小さな玩具を扱うように、彼らの神の教えに従ったふりをして、引き金を引いた。我が国がやつらに与えた施しの一切(移民受け入れなど)を忘れて同胞を殺したのだ。

許せない。あろうことか無抵抗の同胞を虫を踏みつけるように殺したことを、遠くアラブの土地に隠れているISILは勝ち戦だと宣伝し、誇っているのだ。か弱い一般市民を卑怯で卑劣な方法で殺したことをだ。なんと卑屈で陰険なやつらか。生かして置けぬ。

いや、世界の平和のためにもヤツラの一片足りとも生かしておいてはならないのだ。ヤツラは世界の平和を脅かす大悪党でしかないのだ。温情はいらぬ。ヤツラに厚生の余地はない、共に歩む道は絶たれたのだ。我々は我々の同胞の無残な死のためにも、これから我がフランス国家の旗の元で世界を股にかけ活躍するだろう未来の愛国者諸君のためにも砂漠に巣喰う毒虫どもを焼き払わねばならぬ。

強き我がフランスは決してテロには屈しない。これは戦争だ(オランド大統領の発言)。我々の未来をかけた、避けることのできない戦争となったのだ。正義は我らにある。

ISILからの視点?

幾千年、我々は悠久の時をこの地で過ごしてきた(アッバース朝の頃より)。百年前、たった百年前なのだ。この土地は平和そのものだった(サイクス・ピコ協定内容実施以前)。

第一次世界大戦、なんと忌まわしき言葉か。何が世界だ。西欧に住まう野蛮で血に飢えた白人どもの内輪もめではないか。白人同士仲良く殺しあっていればよかったのだ。それを油が我らの土地にあると知るやいなや、ヤツラは我らに牙を向いたのだ。金、金、金! 金のためだけに白人どもは我々を騙し(アラビアのロレンス)、奪い(植民地支配)、殺し、挙句の果ては殺し合いをさせるように仕向けた(国境線の制定など。陰謀も含む)。

あれは白い皮を被った悪魔だったのだ。我らの祖先が疲弊した隙をついて、悪魔どもは我々の土地に勝手に線を引いたのだ。たった百年前、この砂漠には線はなかった。いや、今もないのだ。どこにもないのだ。見ろ、今、この砂漠のどこに線があるというのか。我々はシリア、レバノン、イラク、ヨルダンを自由に闊歩し、バザールを開き、都市を築き、平和に暮らしていたのだ(オスマン・トルコ帝国時のような)。そんな平和を愛していたのだ。

そんな我々の世界を取り戻さねばならない(主張領土はほぼアッバース朝+ローマ帝国領土)。我々は目先の利益に飛びつくような卑賤な人間ではない。我々は我々の手で我々の思う形の平和をこの地にもたらすために今ここに生を受けたのだ。自尊心を持ち、集え。この地に平和をもたらすのは白人どもでは決してない、我々だ。我々にはできる。この砂漠で生きてきた我々だからできるのだ。

かつて、カダフィ、フセイン、アサド、ムバラクがいた(イラク戦争やアラブの春による崩壊)。彼らは彼らなりに白人どもと戦っていたのかもしれない。だが、ぬるかったのだ。優しすぎたのだ(穏健派)。我々がとるのは一時しのぎの白人どもから頂いたカリソメの平和などではなかったのだ。

金欲に溺れた白人はもういらない。平和を築けるのは我々にしかできない所業なのだ。これだ、この自尊心だ! 我々が今求めるものはこの自尊心にほかならない。銃を取れ! 我々に足らなかったものは力だった。戦い、流す血で勝ち取る高邁な精神が我々には欠けていたのだ。我々は生きていく。

日本の視点

力による現状変更は許されない。我々は平和を望んでいる。平和とは銃を向け合わないことだ。テロはそれを真っ向から否定する。

なんと恐ろしいヤツラなのか。ヤツラは言う。「白人に与する日本人も敵だ」と。一体、我々が彼らに何をしたというのか。今、世界は開かれようとしているこんな時代に、まだ前時代的な物言いをするあの恐ろしいヤツラは一体なんなのだ。

宗教が彼らを狂わしているに違いない。聞けば、神のために死んだものは楽園に迎えられると聞く。そんなことを本気で信じているのか? わからない。自分の死後の利益のために、無辜の命を犠牲にして良いはずがないではないか。もし、そんな世迷い言を続けるのなら、ヤツラを討たねばならんだろう。

だが、我々は力を持たない。それでも、できることをせねばなるまい。せめて、神とやらに狂わず平穏に生きるアラブの一般市民を助けることだけでもしなければならない。

僕の意見

僕はかねてからISILのする戦闘行為をテロと言い換えていることに疑問を持っていた。日進月歩で科学技術が進歩すると歩調を合わせるように、戦争もまた形態を変えている。ISILの立場からすれば、テロは必死の抵抗の手段として編み出した戦術で立派な戦闘行為だ。

オランド大統領は今回の攻撃を受け、これは戦争だと言った。それでもまだ日本の報道ではテロ行為と呼称している。これが大問題だと思うのは、テロと言い換えることで、フランスとISILの戦争にフランス側として加担すべきなのか、ISILに与するのか、はたまた双方の敵になるのか、一切の手を引くのか、などの選択を日本も迫られるはずの現状で、何の議論もせずテロ=犯罪行為として短絡的にことを進めているからだ。

殺人が悪いというなら、ISILも米・英・仏・露連合の双方殺している。もちろん非戦闘員をだ。むしろ数で言えば、連合の方がたくさん殺している分、質が悪い。

無差別的かどうかも同じで、連合も空から爆弾を落としまくっている。歴史的正当性の観点からも、少なくとも英・仏を応援できる要素は皆無だ。なにせ先に揉め事を持ち込んだのは西欧だ。庇ならぬ、強盗や詐欺師の類が母屋を取ってる状態で、元々の住人が抵抗するのは当然の反応だ。

では、ISILの要求が無茶苦茶なのか? といえば、確かに主張している最大領土は余りに広大であるし、主張している土地にすでに住んでいる人からしたらたまったものではない。ただ、その名称にも掲げているレバント、イラク、シリア、バグダディが言うヨルダン、レバノンを含む地域を第一要求として限るなら正当性がある。むしろ、欧米の言う「イラクやシリアを現状のままで俺らには今まで通り油よこせよ。あとイスラエルに手をだすな」という方が無理筋に見える。

日本人の首が切られていることについて日本人として考えなければいけないだろう。まず、必死で戦っている人間に興味本位で近づいた上、写真を取らせてくれと言われれば腹も立つだろう。おまけにその写真を自分たちの不利益のために使われるとわかっていれば尚更で、そもそも平和ぼけした日本人がのこのこ出て行っていい場所ではない。それでも同胞が殺されたのだ、と刀に手をやるのもいいだろう。だが考えて欲しいがゆえに命を比べるは無理と承知で言うのだが、日本と同じ組の国々が殺した数万のアラブの民の命に比べ、日本人は数人の命なのだ。そもそも、原爆で被爆含め34万、東京の大空襲では11万余人、その他本土空襲でも多く殺されたにも関わらず、それをやってのけた張本人と仲良くし、あまつさえ日本国総理大臣が議会でそいつらを「トモダチ」と言ってのける日本がたった二人の、それも現地に行った人間で声荒げるとはなにごとか。

「じゃあ聞くが、日本はどういう立場をとればいいのか? まさか、ISILと仲間になれとは言わないだろうな!」 と怒られそうだが、僕はそもそもこの一件、日本に決定権は存在しないと思っている。中国の海洋進出や軍事拡大。憲法の問題。アメリカ軍の国内での駐屯。アメリカの衛生なしには戦闘能力のない海自など、軍事面で首根っこを掴まれている現状、何よりも独立の精神を失った日本民族の気風、日本にそもそも選択の余地はない。戦後、軍事を他人任せにしたツケは払わされることになると思っている。そんなこと70年も前からわかっていたことのはずだ。力がないくせして殺されるとぴーぴー喚くな。そんな方向なら議論するだけ無駄で、議論するならアメリカや西欧列強の要請をどうのらりくらりと交わして何もしないでいられ続けるか、という方法の模索をすべきだ。ホントに日本が独立していれば、「あんたたちの戦争はノーサンキュー」で終わる話だ。

かつて第二次大戦で辛酸を嘗めさせられた日本人なら、ISILのやり口を褒めないまでも、難民問題や連合国の五大国が苦労しているのをみて、「ざまあ見ろ」ぐらい言ってほしいものだ。

広告