富裕層が国外に移転するからって所得税を減税するのはナンセンスだと思う。

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日本人の富裕層が所得税減税を望むということは富裕層は目先の金と中流と貧困層からお金を稼ぐことしか考えていない消極的な存在だと思う。

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富裕層はどうして富裕層の溜め込んでいるお金を動かすチャンスをみすみす逃すのだろうか

100億稼いで五十億持っていかれれば不満に思うのは当然であるのは重々承知している。貧乏人からみれば「まだ50億もあるじゃねえか、ケチケチするな」という声がありそうだが、なら50億をてめえ稼いでみろと言われればそれまでの意見で、僕は50億は50億だと認識している。富裕税なんて議論を持ち出す気もないし、貧乏人思考でこれから語るのではない。

年100億稼ぐ人間が投資や見返りのあるものではなく、ただただ年50億を手放すなんて機会は早々あるものではないはずだ。富裕層からガツッと金を動かせる大チャンスを縮小しようだなんて僕には消極的な思考にしか見えない。所得税率の累進性の鈍化の議論がまさに僕が言わんとするところだ。

税は特定の人物だけから徴収されるものではなく、日本人の一定所得者すべてに課せられているものだ。国税庁に徴収される際には私から国へとあたかも自分だけが損をしているような気分になるが、そうではないことを踏まえなくてはいけない。近年ニュースで騒がれた大塚勝久氏は富裕層の顧客をどう取り込むかに知恵を絞っておいでだったが、税は否応なく徴収できる。そのメリットに気づくべきだ。

国は財布の紐の固い富裕層からお金を引き出させ、社会保障費やら公的資本形成云々で苦もなく市中に流してくれる。

市中とはまさに富裕者であるあなたが動かす企業に他ならない。貧乏人の財布の紐はゆるゆるなのだ、だが無い袖では振れないではないか。ならば持てるものからなんの考えもなしに使ってくれるだろう貧乏人に回してしまう方が巡り巡って富裕層の稼ぎが大きくなる。国による税&リリースが機能すれば、商品に何かと”リッチ”と銘打ったり、狭い敷地にVIPルームを拵えることも、やり尽くして答えの見えない企画会議を開くこともないのだ。

昭和61年、まさにバブル絶頂の頃、15段階で最高税率は75%だった。僕自身調べて驚いた。それでよく富裕層は日本から逃げず、更には現在では間違いなく貧乏人であろう者達までお金をじゃぶじゃぶ使っていたものだ。つまり、あの頃が証明しているのだ。所得税率で75%、住民税やらコミコミで88%の税率をかけられてもなお、金がぐるぐる廻る空間に富裕層はいつづける。

もう一つ付け加えるなら、キリスト教やイスラム教圏で盛んな寄付だが、寄付や施しの類ほどバカバカしいものはない。倫理的にも、商売人の価値観からも否定されてしかるべきだ。

先程から述べている通り、富裕層全体から徴収するからこそ、富裕層から貧乏人経由で別の富裕層に金が回ることこそが、富裕層にとっては面白く、また国民全体の幸福から見てもマーケットの競争原理が働き意味が出てくるのだ。一個人からの献金、寄付その他の偽善をしたところで貧乏人がますます増長して鼻につくだけだ。どこの世界に働かない人間に施して嬉しい人間がいるのか。恵んでやって嬉しいなんて思う価値観は相当に屈折したもので、もはや狂人の域といっていい。その上、自己満足に終始してなにも社会の向上に寄与しないではないか。

ただ、これまでの論理は政府が債務に怯えることのない前提。

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