嫌煙家へのアドバイス

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僕は愛煙家だ。敵に塩を送るわけではないが、僕から嫌煙家諸君へ喫煙排斥運動を行う上でアドバイスがある。

煙草に対する世間の風は冷たくなる一方だ。ネット空間では現実よりも激しい罵詈雑言が嵐となって吹き荒れているのをよく目にする。

嫌煙家並びにアンチとまではいかない(ケイエン家と呼べばいいだろうか)ロジカルな人々が口にする煙草への言い分は概ね一様だ。そんな言い分への僕の正直な感想は耳にタコだ。

健康被害、周囲への迷惑、経済的理由。叫ばれるのはこの3つだ。ひとり寂しいホタルとしては「勝手にさせてくれ」の一言で済んでしまうものばかりで嫌になる。

煙草の煙は肺や気管支に、その成分は血管の収縮効果により脳や全身に影響が云々。80近くの爺さんがスパスパ吸ってるのを見てどう思うのだろうか。再現性の科学と統計による可能性の疫学を同じ土俵で話すのは馬鹿だということは重々承知してはいるが、だとしたら酒はどうなのか? 飲酒運転やカッとなったあれこれで煙草以上に人を殺めている物だと思うが、その話をすると、「煙草が一要因となってる疾病による保険料が……」と経済的な話に突入するのでやめておく。いずれにしてもてめえの体ぐらい勝手にさせてくれの一言で済む話だ。

口が臭い、体が臭いと叫ばれる。紫煙が服につくから近くで吸うのはやめてほしい。そういう類で忌避される煙草は本来心安らぐ芳しい香りを楽しむものだと知っている人はもはや少ない。友人が僕の部屋へ遊びに来た時に愛用のゴールデンバットが切れ、気乗りはしないがパイプを着けた。いい匂いだな、と友人は言ってくれた。「blue note」の甘い香りはそこらの芳香剤やアロマなど引けに取らないほどいいものなのだ。他にもいい銘柄がたくさんある。パイプに限らず葉巻も紙巻たばこでもいいものはある。大体、あらゆる物にはピンもキリもあるのは常識だと思うのは僕だけなのだろうか、そうではないだろう。鈍刀しか使ったことのない人間がキッチンバサミでなんでもこなすと言い放つような嘲笑がある。この手の物言いで責められると、いい葉で一服して落ち着いてくれと言いたくなる。

煙草はとかく金がかかる。そんなこと言われなくてもわかっているのだ。「400かける365はわかりまちゅか?」と言われては頭に来てしまう。野暮という言葉を教えてさし上げたい気持ちにかられるが、そこで一本咥えてぐっと堪えると、「相手の気分を害さなかった。20円以上の価値はあった」となだめるのはもうたくさんだ。てめえの金だ、てめえの勝手にして何が悪い! と啖呵を切ってみれば、社会保障費がとくる。個人の話をごそっと社会の話に入れ替えるのなら、こっちにも言い分がある。煙草をくゆらせながら生まれた文芸・音楽その他ありとあらゆる文化財の経済効果はどのぐらいなのだろうか。「煙草だけで文化が創造されたわけではない」というのはブーメランだからなしだ。社会保障費も「煙草だけで社会保障費が増大しているわけではない」。あと低所得者の喫煙率の話しは鶏卵だからよしてくれ。僕が考えるに、はした金で楽しめるって言えば煙草くらいなもんで、煙草を吸ってるからって身を持ち崩したとは思えない。身を持ち崩すのには人としてもっと根本の大事な部分が絡んでいるから煙草なんぞの枝葉末節で片付けては将来社会が狂うおそれがあるからやめておいたほうがいい。

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ここから本題の嫌煙家へのアドバイス

物事を語るには順序が肝心だ。社会の問題を論じる上で、その原因になっているものは数あるだろうがその軽重を見極めることはすごく大事だと文明論の某にそう書いている。上のような小さな理由を取り出して煙草の排斥運動を行うのは他の物にも害悪が生じて迷惑千万なので、もっと重大なことを挙げて論ずるべきだ。

では、僕が考える煙草の普及に制限を設けるべきだと言えるだろう理由は、煙草の不始末が火災の出火原因の第二位だということだ。「そんなことみんな知っているし論じてもいる、当たり前だ」という声が聞こえて来そうなくらい普通の意見なのだが、なぜか煙草へと注がれる非難の中に火災原因というワードが含まれてこない。当方不思議なくらいだ。上の3つのような話は気分と言ってしまえばそれまでだが、火災は生命・財産に関わる重大な問題だ。殺し殺されと、好き嫌いとでは話のレベルが違う。なのに話に出てこない。確かに火災全体は減少傾向にあるが、起こり続けている以上社会はこれに対峙し続けなければならないだろう。これを見てほしい。

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“平成26年版 消防白書 附属資料9 主な出火原因の推移(上位10位)”より

出火原因第一位はぶっちぎりで放火(疑いも含め)だが、煙草もトップ3の常連として君臨し続けている。数字を見てみると5年間で千件、10%ほど縮小しているが、煙草の消費量の減少を合わせて考えると、各個人の火の始末、国民意識が改善されたとは言いがたい。一応煙草の販売実績のurlを貼っておく。

日本たばこ協会-たばこに関するデータ-紙巻たばこ統計データ

もちろん、吸っている本人が吸い殻がどう延焼に繋がるのかを自ら努めて学習することはもちろんだが、中高教育で火の取り扱いについての教育にも注力せねばならないだろうし、嫌煙家諸君も煙草排斥の運動を起こすのなら起こすで火災の問題と絡めることによって相乗効果をより大きいものにしてもらいたいものだ。言論空間ないし場末のバーなどで会社の同僚がたばこを止めて「お前も止めたらどうだ?」などの瑣末な会話でも、家が燃えたら大変だの一言がなぜ出ないのか。飯がうまくなる、節約倹約体重増加、吸う場所がなくなった、世間に疎まれる、健康に悪いと言った話に終始してしまう。これらすべては人様に言われることではなく、自分で考え自分で決めればいいことばかりで恥ずかしい会話だと自覚すべきだ。

巻紙の燃焼剤の話

自分で葉を選び自分で巻いて吸う手巻き煙草を愛する方々にとって、一般的な煙草の巻紙に含まれる燃焼剤を気にしない人はないだろう。灰皿の上で吸いかけが煙草の形を保ったまま灰になっていることを目にする。元来、植物の葉というものは燻しはすれど燃えはしない。火起こしを経験している方にとっては当然の話しだ。もし燃やそうと思えば、空気を適度に送り続けるか、ガソリンその他の燃焼剤の助けを借りなければならない。市販の煙草が放っておいても全身を灰にできるのはこの燃焼剤のおかげなのだ。アメリカンスピリットなどの比較的添加物の少ないことを謳っているような煙草は燃えづらい。こういうことを嫌煙家諸君は知っているのだろうか?

勝手に物が燃えることほどこわいものはない。ガラスの灰皿で数本の吸い殻が延焼し、高温になってガラスを割り、火を伴った吸い殻が飛び散ってカーテンを燃やすということがある。煙草それ自体が悪いのだろうか? いや、燃焼剤と喫煙者の知見の浅さが悪いのだ。なぜ、燃焼剤などの半ば恐ろしさを含む物が注記なしに大量に市販されているのか。パッケージ上に健康被害の広告で埋め尽くされていることが上で語ったような瑣末な感情論ばかりしていることの証左ではないだろうか。知見が浅いのはなぜか? 火の取り扱いを学んでいないからではないのか。なぜ、学んでいないのか? 嫌煙家諸君も毛嫌いする前にその辺をもう少し考えるべきだ。

煙草の後始末

吸い殻をそのままゴミ袋に入れてしまう。消火されていると思っていたのがまだ火があって、ゴミ袋に一緒になったチラシなどの紙くずに燃え移り……ということがある。

紙屑、ゴミ屑などは1時間以内の出火がほとんどで、2時間を超えると少なくなる。その1時間の内訳を見ると、紙屑などは15分以上から45分未満がピークとなっている。火災現場では、外出前にたばこを吸って、ゴミ箱に捨てて、外出後30分程度の出火となる。

火災調査探偵団 たばこの火災より抜粋

驚くべきことは火元(吸い殻)を投入して三十分ほど経ってから出火している点だ。消したと思っていたら気づかない恐ろしさがある。僕は必ず水に浸してから捨てているが、乾いた状態で吸い殻を捨てている喫煙者はどれほどいるのだろうか。未だ煙草が火災原因の上位であることがその多さを物語っていると思う。

引用元の記事は消防職員向けに火災原因を特定するための情報として掲載されているが、現場を調査をしない僕のような一般の方にも非常に有益な情報が満載なので一読を恐縮ながらおすすめしたい。

なぜ僕は敵にアドバイスするのか

是非、嫌煙活動家諸君には上の火災の観点から議論を活発化させて頂きたい。

こんなことを記事にする理由は冒頭に語った瑣末な表層の議論に辟易したからだ。もううんざりなのだ。ただ、火災に関しては愛煙家の僕から見て喫煙者の行動が目に余るものを実際目撃しているので、その観点からであれば煙草を規制するも一計なのかもしれないと考えている。

最寄りのコンビニのガレージに納屋がある。鍵をかけている割に汚れているところをみるとおそらくゴミ置き場なのだろう。その前に妙なダンボール箱がぽつんと立っていた。何だと思って覗くと雑多にゴミが詰められていた。一目でどこぞの客が無断で捨てていったろうことがわかった。その中に吸い殻が二三。雨のない日だ、もはや放火未遂だといっていいと僕は思った。これはほんの一例だが、煙草は火元という意識が損なわれているということが十分に見受けられた。一部の人間だけなのだろうか、僕はそう思わない。そうであれば正さねばならない。火は危ないということを若いうちから叩き込む必要があって、それによって火の危険性の部分の裏側にある有効性を更に伸ばすことにも繋がる。有効性、料理の不出来な人間の特徴は火を恐がることにあるということだ。

未成年者の喫煙

未成年者喫煙禁止法は明治33年に公布された。理由は健全な青年の育成にあったが、今や健康にしか焦点があたらない。それでは健康な青年しか育成できないではないか。それでは困るのだ。深夜にコンビニで未成年者は煙草は買えないが深夜遅くにお菓子とコーラは平気で買える。大人が何が健全なのか決められなくなってしまった現代においては無理からぬ話なのかもしれない。未成年者の喫煙に関して現代の大人が自信を持って駄目だと言えるのは、明治の大人が分別を以って法を残してくれていたからであって、現代の大人が偉いからでもなんでもないのだ。嫌煙家諸君には健康健康とバカの一つ覚えで唱える暇があるなら健全な人間とはどういった人間なのかを話合ってほしい。煙草をその取っ掛かりにして、なぜこの法を明治の人間はこしらえたのかを思い出すことができれば、嫌煙家も少しはまともなことが言えるようになると思う。以上、ひとつの提案。終わり。

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