子供がカフェで泣くのは世間では常識なの?

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「子供の泣き声はうちの店NGです」と即刻退店させられた

ツイートの「次女」が何歳なのかわからないが、言葉をようやく話し始めた1~2歳なら「退店」はやり過ぎかもしれない。もっとやりようがあったのかも知れない。だが、もし言葉や感情の通じる3~4歳以上なら話は別で、親として、子を外で泣かせて周りに迷惑掛けておいてどの口が言うのかと辟易してしまう。

いずれにせよ親として恥ずかしいことをさも不寛容な店だとツイートしてしまう”常識”や”思想”に、僕はあきあきした。
「子供は泣くのが仕事」という意見もあるようだが、「泣く子を止ませる」という親の仕事を忘れてはいないだろうか。
「子供は泣いて良い場所悪い場所なんてわからない」という意見もあるようだが、「泣いて良い場所なのか悪い場所なのか教える」という親の責任は何処へいったのか。
子育てがしにくい環境と嘆いているようだが、子育てしてないじゃないか、と勘ぐってしまう。
店が不寛容なのではなく親が不真面目なのではないか? と疑ってしまう。

幸い、店がさらされることはツイート主の配慮があって事なきを得たが、さらされていたとしたら店は子供にわめかれた挙げ句店のイメージまで損なわされるというダブルパンチをもらうところだった。恐ろしい。

「”泣き声お断り”の張り紙をしておけ」という意見が多々あるが、公園で禁止事項を並べた看板を見て何も思うところはなかったのだろうか。
僕はスマホのアプリや色々な契約なんかで無駄に長い”利用規約”を承諾させられることにうんざりしている人間で、発端はアメリカの訴訟文化で、それが日本に広まっているに過ぎないが、そんなくだらない文化のために、一個私人の店舗という限定的な空間にぺたぺた張り紙をされては目も当てられないだろう。
何も書いてないから何をしてもいいなんて発想はクソガキ時代に卒業しておいてほしい。

棲み分けたら共存じゃないだろ、と反論するのは野暮だろうか。
白か黒かと端から分けておけばいいという考え方はどこまで分ければいいのか際限がないし、なんと言っても稚拙だと思う。

例えば今回の事例で言えば、ツイート主が常連で品性を持った立ち居振る舞いをしていたとして店としてもとても良い客だったとすれば、たまたま子供を連れてきた時に泣いてしまったとしたらもっと違う行動をとったかもしれないし、また同じ境遇でも他に「子供は嫌いだ」といつも話す別の常連がいたとすればまた違うかもしれない。
何が言いたいのかと言えば、こういう複雑な人間関係を解きほぐしていってこその大人の知恵であって、最初から忌み嫌う者同士は出会わないようにするというのは子供の考えという印象を受けるのだ。ダメな後輩と優秀な後輩に仕事を教える立場になったとして、ダメな方はダメだからと辞めさせてしまうような。
話が逸れるようだが、同じ母語同士でこんなことでも棲み分けが必要になるなら人類は滅亡まで国境を無くせやしないんだろう。

棲み分けるのは最終手段であって、妥協点と言えば聞こえが悪いだろうか、中庸を模索し続けることこそ最善であって、子供がわめいたごときのことで最終手段を使うなんてこの先もっと大きな問題にぶち当たった時にどうするのだろうかと不安になってしまう。良い手筋が残っている中、最悪ではない悪手を打つことを愚かというのではないか。

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