茶室に見る狭い部屋の誇らしさ

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狭い部屋のメリットをツラツラと挙げて行こうと思います。

何かと敬遠され疎まれる言葉で「狭い」という単語があります。

国語には「忌み言葉」という語があるように、それぞれ良し悪し、良い響き悪い響きがあります。
これはもっぱら慣習に依るもので、それは元々は嫌な言葉だったものが後の世にいい言葉になっている物があるのを見れば分かると思います。
結局、語感なんてものはその時代で左右されるものなのでしょう。

そんな中に「狭い」という語があります。
テレビで『ビフォーアフター』なんてのがありますが、しばしば「狭小空間」をどう改善するか? というのが主題になっています。
「狭小」とは悪い意味なんですね。

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むかしむかし……日本で「狭い」は美の基本だった

我が国には茶室があります。
伝統文化である茶道が行われる部屋ですが、狭いですね。
入口なんてもっと狭い、窮屈と言っていい。

茶室にも広間を用いたものもありますが、一般にまで認知されている茶室といえば、せいぜい三四人居れば精一杯の小さな空間でしょう。

なぜ、小さいのか。狭いのか。

僕は茶道に明るくはないので、そう詳しくはないですが、発展した時代と無駄を省く精神性がそうさせたようです。

つまり、戦国時代、各国の武人が雌雄を争う時代、広い部屋ですと刀を振り回せるわけです。
気分を害せば、立場を害せば抜身を光らせ、お茶をしながら話される謀略や同盟、政略を優位に進めるため力を行使するわけです。

狭い部屋ならどうでしょう。茶室は一枚の畳の上に三人ぐらいが座るわけです。天井も低く立ち上がることも億劫です。
下手な事をしては手が触れてしまいます。
抜身を見せるだけでは済まない、と言うより刀なんぞ邪魔で仕方がない。
茶や話題に専念できる空間と言えるわけです。

狭い部屋≒「事足りる」という事の重要性

さて、茶を飲むためだけの空間ですから、それ以外邪魔なものは全て排除されていきました。
その無駄を省く精神性を以って、あの狭さで十分ということになったのです。(らしいです)

この無駄を極限にまで省いた空間、土台・基礎があるからこそ、その上で演じられる「ただただ茶を飲む」というだけの行動が世界からも注目される美にまで昇格したわけです。

重要なキーワードです。
「これで十分。」
この事足りるの精神はこの現代に於いても大切にすべき尊い精神の一つではないでしょうか。

ある目的に向かい前進するためには、目的への過程が繰り広げられる空間の規模というものが如何に重要かをあの狭い茶室は教えてくれているのです。
茶室の場合、ある目的とは茶を飲むことです。
そのための空間の広さはあれで十分であり、八分でも十二分でもないのです。あれがちょうどいい。

間取り、部屋の広さはあなたの持つ夢が決めてくれる

さて、現代の僕ら一人暮らし勢の話に戻りましょう。
僕らが一人暮らしを営む目的はなんでしょうか?
各々違うはずです。
その目的をいついかなる時も決して忘れてはいけません。
それは不動産屋さんに赴いた時もそうで、間取りのペーパーを見ている時も、内覧している時もそうです。
その目的のためにはどれほどの広さが、「狭さ」が必要なのかもう一度よく吟味する必要があるのです。

ここで言う目的は志のことです。あるいは現代風に言えば夢です。

例えば、学問を収めたいとしましょう。
本を読むための空間はどれほど必要でしょうか。
四畳半あれば事足りるのではないでしょうか。いや、布団一枚敷ける程の空間、いやもっと言えば机一つ置ければ学問を極められるのではないでしょうか(学問次第ですが)

あなたの志はなんでしょうか。
それが決まればどういう部屋がいいのか自ずと答えが出てくるはずです。

逆を返せば、どういう部屋に住みたいかわからないと言う人は志が無い人間だと反省するべきでしょう。

夢や希望、志といった言葉の類は遠い遠い遥か先の未来の話をしているように聞こえますが、今現在目の前に展開される現実の中、あなたの居住空間の広さ狭さと言う具体的なこと一つにも夢・希望・志の片鱗が散りばめられているのです。

部屋が狭いというだけで疎むなかれ。
狭さ疎めば志をも疎むに同じ。

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