理想のミニマリストを語る!:第1回「冒頭陳述」

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吉田松陰だったでしょうが、夢を持たねば成功しないという文言を思い出しますと、何事も目的がなくてはいけないようです。ミニマリスト、不安定なこの言葉を連載記事で掘り下げてみようかなと思います。

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わざわざ理想のミニマリストなんぞを語ろうと思ったきっかけ

このブログを作ろうと思った当初から、ミニマリストとはなんぞや、という疑念がずっと付きまとっていました。書いているうち、日々ミニマリズムを意識するうちに固まってくるだろうという見切り発車で始めたのですが(僕はミニインデペンデンティストなる適当な造語で逃げたのです。minindependentistとは?)、世の中は面白いもので僕のそんな悠長さを叩き潰すかのように、ネットのごく狭い範囲なのでしょうが、ある要求が巻き起こりました。

「ミニマリストミニマリストと名乗っているがミニマリストとはなんぞや?」

おそらく現状を鑑みれば、もはやこれに端的に答えられる自称ミニマリストはいないと思います。

以前であれば、「最小限主義者」という直訳語が枕詞のように添えられたのでしょうが、現在はどうもその冠がサイズも相性もそぐわなくなってきたようです。

現行、ミニマリストという語は化け物のように千変万化しています。

落ち着きを取り戻すべきではないか? そう感じてやまないのです。

これは僕だけの疑問ではないと思います。実際にミニマリストとはなんぞやという疑問を率直に記事にされている方も多くいらっしゃる。その中の多くの批判は真摯に受け止め反応しなければいけないほど、問題の核心をついた文章であります。

その多くの良き批評者のミニマリストへの要求こそ「何々術はいらない、ミニマリストこそを教えてくれ。」でした。

読者の正当な要求だと思います。八百屋の看板を掲げておいてテレビの説明をするようなもので、聞かされた方から批判が出るのは当然のことです。チグハグであってはいけないでしょう。

八百屋はそんな下手なことはしないですが、ミニマリストの多くはやらかしているわけです。

なぜか!? ミニマリストの意味をミニマリスト自身がわかってないからです。

このままの状態で正当な批判に耳を傾けないまま、レスポンスを億劫がっているままで放置すれば、「ミニマリスト」なる言葉は個性という継ぎ接ぎでしつらえたパッチワークになってしまうでしょう。そんなので仕立てた服を現代人は貧乏くさくて着てられないのではないでしょうか。

僕には未だ漠然とではありますが、理想の暮らしというものがあります。その漠然としたものを形容する語として近似していたものの一つがミニマリストです。理想とするからにはより良きものであってほしい。より良きものとするにはひとりではなくより多くと批判もひっくるめて練り上げる方が良いらしいのです。

問いには答えなければいけない。それが理想のミニマリストなんぞを語ろうと思ったきっかけです。

第一回の意味は?

シリーズ化しようと思います。

ミニマリズムはミニマルアート、ミニマルデザイン、ミニマルミュージック、ミニマル彫刻、ミニマル絵画、ミニマルアーキテクチャーetc…とそもそも多岐に渡る芸術的分野に通じている考え方です。芸術はとても重要です。人の印象は第一印象が八割だか九割だか、とりあえずかなり多くの位置を占めています。逆に機能美という言葉を思い出せば、内から滲み出るような美、茶室や刀などはその本質を極めることによって見た目からも良い物だと判断できることでしょう。

また老荘思想や禅、もっと広く仏教や犬儒派などの形而上学的な分野においてもミニマリズムは似た色気を持っています。

正直、これらを一回の記事には壮大すぎますし、ましてや僕はそのどれにも精通するまで勉強していないものですから、現時点で語るのも畏れ多いのです。

ですから、上に例を挙げたような創作物であれ、概念や習慣、風習、言葉に深く洞察できたと思えた折に記事を書きたい。そうして、アップデートしていって、そのログも残るので、まあ有意義かなと思い至った次第です。

次回からは理想や可能性を語っていきたいと思います。

おわり

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