足るを知らないと最大の不幸に陥る簡単な理由

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言葉遊びかもしれませんが、「足るを知る」で僕なりに論理を組み立ててみたいと思います。

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足るを知るとは?

「足るを知る者は富み、強めて行うものは志有り」は老子の残した言葉です。老子がいつの時代の人かは紀元前6世紀やら紀元前4世紀やら諸説あってめんどくさいので、めっちゃ昔の人としておきます。

「足るを知る」はそんなめっちゃ昔、山に引きこもろうとしていた爺さんに語らせて書き留めた「老子道徳経」なる本の一文です。この一節は名文で、僕は高校時代授業のエスケープ先の図書室で何度も反復して読んだのを覚えています。

足るを知るの部分はその前の知人者智。自知者明。勝人者有力。自勝者強。という文言の説明文で、稚拙ながら僕がかいつまんで翻訳すれば、「他人を知ってるやつは賢いんだけど、自分を知ってるやつこそ悟ってる。他人に勝つやつは力はあるんだけど、自分に勝つやつが本当に強い」となります。

そして、知足者富足るを知るは富み、つまり「満足できるやつが豊かなんだ」と老子は補足的に説明しています。

昔話はこの辺にしまして、本論の言葉遊びをしてみたいとおもいます。

幸せの一条件

突然ですが、人が幸せを得る、感じる瞬間はどんな時でしょうか。

美味しいものを食べた時でしょうか、独立した時や出世した時、結婚・出産・七五三。志を遂げた時もそうでしょうか、また夢の達成に続く過程の中で一歩を前進した時も幸せを感じれるかもしれません。

いずれにせよ、幸せを感じるのはいつも節目であるようです。大小問わずある結果を前にして初めて人は喜びも悲しみも感じ、その中から幸せを汲み取ると考えられます。もちろん不幸も汲み取ってしまうこともあるでしょう。

では足るを知らなければどうなるか

足るを知らないとは満足できないということです。

満足できないということは際限がないことです。

際限がないということは終わりがないということです。

終わりがなければ結果は出ません。

ゆえに、足るを知らなければ幸せも不幸も感じ取れなくなります。

不幸を感じ取れない不幸を考える

さて、幸福を感じ取れなくなるだけでも十分に不幸なのですが、不幸を感じ取れないというのは一見幸福のように考えてしまいそうです。

ですが、これこそが幸福を感じ取れなくなることよりも、この上ない不幸だと考えているのです。

人は不幸を克服することで豊かさを手にしてきました。一昔前では飢饉で食うものもないという時代がありましたが、そういった不幸を乗り越え対処し、今日本において饑餓で苦しむことはそうそう起こることではなくなりました。

現状が不幸だ、不幸かもしれないという感覚なしには改善しようとも思わない。思わなければ行動にも移せない。

実際は不幸であるにも関わらずそれを不幸だと認識もできずに不幸なままに人生を終えてしまう、これは想像するだけでも恐ろしいと僕は考えるのですが、皆さんはどうでしょう。

この上ない不幸だとは思いませんか?

結論、足るを知るは幸せへの第一歩だ

宗教的な話をしているわけではないのですが、幸福という言葉がこうも出てくるとそんな空気がでてきちゃいますね。もちろん幸福を科学しようとも思っていないのです。

なんと言いますか、科学だとか論理だとかそういう以前の前提を言いたい気持ちなのです。

ミニマリストに関する記事やブログの中で批判的なものも目にします。

肯定意見も否定意見もどちらも読んでいると、両者でこの前提が違っているように感じました。

肯定者はミニマリストになった時がスタートラインだと考えていると思います。時間や空間やお金の無駄を省いて、生み出した余分を趣味や夢ややりたいことに転用するのが目的なのですから。

一方否定意見を見ていると、ミニマリストを目的だと捉えているように思うのです。トランクケース1つにすべての持ち物を収めて持ち運べるような存在になることがゴールだと、そう前提して意見を述べているように感じました。

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