物事に立ち向かうには目標・目的を設定しては不味いという話。

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僕の体験なので普遍性があるかわからない。ただ、思考整理として目標・目的について考えてみたい。

僕は個人が何かを達成しようだとか継続しよう、成し遂げよう、志を遂げようとそれを実現する際に、目標や目的は邪魔物以外の何物でもないと思っている。念をおすが、これは個人の話で、集団では目標や目的は必ず明確で具体的なものを設定するべきだ。導がなければ船が山を登ってしまう。僕が話たいことは個人の話。

ライフハックとか言って目的を掲げることを良しとする考えがもっぱらのようだが、僕には受け入れられない考えだ。目標や目的を掲げて達成出来た試しは一度もないし、大体は三日坊主で漫画を読んでいる。僕が根性無しだからで済ませてもいいのだが、こういう言い方もできる。一念発起して掲げた目的は往々にしてできないことを設定しがちなんじゃないだろうか?

思考は限界をみない。これが不味い。絵に描いた餅そのままだ。机上の空論だともいうか。「さあ! やるぞ!」と意気込んだノリは無茶な要求をする。イメージは身体に驚くべきパフォーマンスを与えることも脳科学の分野から伝えられているが、それは現実に則した具体的で精巧なビジョンに限る話であって、「現実的に、計画的に」といえば聞こえは良いが実際には、途端の思いつきの曖昧なイメージはどれだけ理屈で取り繕ったところで後に絶望を与えるだけで迷惑なものに過ぎなくなる。

そんな身も蓋もない言い方するのなら何かを成し遂げるには何が必要だとお考えか? と問われれば、僕は「善処」これに尽きると思う。こんなことがあった。自衛隊の教育訓練のハイポートの話。

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富士の麓でハイポート

僕がやらされたハイポートは重く黒いブーツに戦闘服姿で鉄帽をかぶり、腰の弾帯(ごついベルト)に水筒を引っさげて、銃口が左斜め上を向くよう小銃(約4kg)を胸の前で構えたまま隊列を組んで走り続けるというものだった。

ウチの隊長(小隊長)はハイポートが大好きでよく走らされた。これが何気にきつい。小銃を構えているせいで胸が開かないので息を深く吸えない。腕も振れないので足の運びも重くなる。おまけに足には鉄板入りの分厚い靴底のブーツで走りづらいと来ている。そんなハイポートで覚えているのは教育訓練終盤、富士の麓で合宿の際に突撃訓練をするために、その訓練場までをハイポートで移動した時だ。

他の隊はトラックでドナドナされたがなぜか僕らの隊だけ走るはめになった。隊長はハイポートが好きなのだ。突然の思いつきで走らされたものだから、隊長の隊長(中隊長)がびっくりして飲んでいたコーヒーをそのままにして応援に駆けつけたことは後で知った。何キロ走らされたかはもう無我夢中だったせいかわからない。ただ、随分と脱落者が出た。ゲロを吐く同期、顔を真っ青にして動かなくなった同期もいた。僕は隊の先頭を走っていたおかけで脱落が出ていることを訓練場に到着したその時まで気が付かなかった。運が良かった。それを知っていたならきっと僕も諦めていたと思う。僕が大声で掛け声を上げながら走り見ていたのは小隊長の背中がほとんどで、あとは代わりばんこで掛け声の指揮役で前に出てくる同期の姿ぐらいだった。景色もほとんど覚えていないし、注視したこともなかった。中学時代陸上部、遠距離走で遠くをみて走れと言われたことがあるが、そんな茫漠とした掴みどころのない景色よりは隊長の背中の方がよっぽど信頼がおけたのだろう。こう語ったすべては過去録で、走っている最中、特に呼吸も乱れきったあとは無心だった。何の疑問も抱かなければ、何も考えない。ただひたすら足を動かしているだけの装置になっていた。完走したのは半分もいなかった。50人中20人ぐらいだったと思う。思うと曖昧に言っているのにはわけがある。昼飯を挟んでの戦闘訓練で草むらの中を姿勢を低くして突っ切った上、崖を駆け登り銃剣突撃。その丘陵で掩体(人ひとり埋まるくらいの穴)を掘り陣地作成の演習が立て続いたので疲労困憊し、午前のことなどもはや記憶に遠い出来事に思われたからだ。濃密な一日だった。

話を戻して、僕はなぜ走り切れたのか? という疑問があった。僕に特別な体力が備わっているわけではない。僕は歳を食っている方で、18の現役バリバリの人間もいたが、年齢・体力成績にあまり関係がないように思えた。もちろん、絶対的な体力は必要だろうが、とびきり運動自慢も脱落しているのを見ると何か違うファクターがあったように思う。

先ほど述べたが、僕は後ろで走っていたなら脱落していたと結論づけている。無心で走れなかっただろうからだ。「走り切れた」という達成を得たのは「脚を動かし続ける」という「善処」があったからでそれ以外にない。脚を動かす以外にその地点に到達する方法はない。そのハイポートではゴールまで後どれくらいなのか一切示されていなかった。

「げんしけん」のセリフ

この漫画はオタクサークル「現代視覚文化研究会」を舞台にしたオタクの大学生活の葛藤を描いた作品だが、七巻で漫画家という進路をあまり考えていなかったヒロインが、「バカみたいに描きまくってます」と答えたのに対し主人公の「あー、そういう人はね なろうとしなくてもなっちゃうよ」とのセリフがある。僕が今まで言っていることに通じるものがある。

これは漫画に限らないと思う。映画を撮るやつはもうカメラを回しているだろうし、英語で何かしたいやつはさっさと海を渡っている。私自身の欲求や環境がそうさせる中で「善処」をただひたすらに文字通り死ぬまでし続けるしかない。志や夢や目的といったゴールめいた物は後からついてくるものであって、先に予定させるものではない。とあるお坊さん曰く、人生においてゴールがあるとすればそれは立ち止まったその場所だそうだ。

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