店長修行で長らく更新が途絶えてました

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長らく本ブログの更新が途絶えてました。
だからどうした、という話で僕のブログの更新が途絶えようが途絶えまいが世間様は何ら滞りなく運営され続けるわけで。

ニヒリスティックな話はさておき、途絶えていた理由ですが、僕もAIでなく人間でありまして、日本カースト制度上の働かねば食っていけない身分であります。
この一年は店長修行といいますか、仕事が忙しく、まるで奴隷のように働いていたゆえ、理性や悟性といった感覚すべてを失っておりましたので、こういったブログのような言葉を意識から排出することが精神状態を鑑みるに非常に困難な一年となっていたのです。

そして、今日をもってその身分から開放されたかといえばそんなことはなく、ただただ奴隷街道まっしぐらお先真っ暗なわけで。

ただ以前よりは文章をしたためようという気概が出てきましたので、今日をもって再開しようと相成ったわけです。

元々このブログはミニマリストという考え方にシンパシーを持ったゆえに開設したのですが、すったもんだありまして、僕が当初思っていたミニマリストと巷で使われているミニマリストという言葉がかなり違ったものになっていてなんだかなーという気持ちになっています。

例えば、部屋に何もないことを公表することによってミニマリストと名乗っている方が何人かいらっしゃって、それがテレビやなんかで取り上げられていたりしているようです。
それにすごく違和感があるんですね。
僕が初めてミニマリストという言葉に触れたときミニマリストってどんな意味なんだろう? どこで生まれた言葉なんだろう? という当然の疑問が浮かび上がったので調べるんです。
例えば、当然ミニマリストという言葉は英語だろうということで”minimalist”と検索するわけです。
そしたら、”What Is Minimalism? | The Minimalists“が検索一位で見つかると思うんです。と言うか見つかるんです。今現在は。
その記事の冒頭にはどんなことが書かれているかとざっと訳せば、「ミニマリストとなるためには持ち物を100個より少なくしなければならない……なんてのは冗談です」って言ってるんです。
そんな彼らが冗談だということをマジでやってるのが日本のミニマリストなんですね。
別段、日本のそんな冗談みたいな人たちがどんな生活しようが構いませんし、テレビで馬鹿にされようが構わないんですが、そんな冗談にNOを突きつける他の批判精神をもつ日本人ミニマリストがいなかったのはどうにもやりきれない気持ちでした。
結構観測域広めに探してたんですけどね、見つけられたら良かったんですけど。
出版したからだとか、メディアに取り上げられたからだとか、そういった副次的なことでしか正誤の判断ができないことは間違いで、僕の言うミニマリスティックではないと思うんです。

「じゃあお前の言うミニマリストとはなんなんだ?」と言われそうですね。
なので、ここに書いているので、参照してください。
当ブログ開設当時に書いたものですが、当然といえば当然ですが変わっていません。
ミニマリストに対する僕の見解の根本にあるのは、物質的な話よりも、思考の中や未来といった、まだ現に出てきていない不確定性な事象に関することなので少々わかりづらいかもしれないです。
ミニマルにするのは、本とか調理器具とか人ではなく、言葉や行動や思考や将来や未来などなんですね。

これがしたいという意思がなく選択に迷うとき、選択肢を狭める・捨てるという方法は有効でしょう。
これがしたいという明確な意思があったとしても、何かを選ぶことは同時に何かを捨てることにほかならないのでありまして、その捨てたもの・ことにも着目するとよりいいんじゃないか、と思うわけです。

まぁ、なんでしょう。
要は「そうでなきゃいけない」と「思い込んでること」が多すぎるんですね。

恋人同士だからLINEし続けなきゃいけない。
パスタを作るんだからアルミのフライパンじゃなきゃいけない。
部屋を片付けるんだから断舎離しなきゃいけない。
そんな「しなきゃいけない」で恋人同士がギクシャクしたり、うまく扱えないフライパンでパスタがまずくなったり、部屋に何もなくなったら、どういいましょう、寂しいじゃないですか。
僕なんかはそう思うんですけど、みなさんはどうなんですかね?

というわけで、このブログを再開しようかな、と思った次第です。
以上。

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