よい結婚を継続するため恋愛があるのか? 恋人は婚約者のための捨て駒ではない

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ちょうど数日前にベッキー氏の関わる不倫に対する社会現象について記事を書いたところで、結婚についてとくと考えていた。
そんな折りに冒頭の記事を拝読したわけだが、僕の恋愛観というか、感覚とは大きく異なっていたので、対する一つの意見として掲載にしておきたいと思った。

不倫は悪です」を読んで浮き彫りになった僕の考え方(反論)を列挙して、それから詳細を説明したい。

  1. 不倫それ自体が悪なのではなくて、社会を安定させるために「不倫は悪」としているに過ぎない。「不倫は悪」は建前。
  2. 結婚と恋愛は別物。結婚は共同体への宣言という儀式的(現代では法的)なものであり、恋愛は感情の遭遇という自然的なもの。
  3. より多くの人間と交際したからと言って、人への審美眼が養われる訳ではない。恋愛を多く経験したからといって、善き婚約者を選別できるようになるわけではない。
  4. 不倫をするのは本人の意思であって、された側の善し悪しは関係しない。
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「不倫は悪」は建前

これについては「芸能人の不倫の批判は別に当人を反省させたいためにしている訳じゃない」に詳しく書いたつもりなので、そこから。

僕の結論を先に言えば、「恋愛は不倫でもなんでも当事者同士の枠をでないから自由にさせとけばいい。だが、影響力のある人間の不倫が露見し、その不倫を肯定してしまうと、『不倫ってやっていいことなんだ』と勘違いする馬鹿が増える恐れがあるから、社会が一定の批判を注いで『不倫ってやばいんだよ』と示す必要が出てくる。だから、不倫するならするでコソコソしてもらって、社会はゴシップなんて低俗なものを収集したり、真っ昼間のワイドショーなんかでやるのはおよしなさい。」というのが僕の意見。

結婚は社会的な儀式・法であり、恋愛は感情の偶然の遭遇

結婚する理由を恋愛に設定してしまうと結婚がもろくなる。
なぜなら、たとえ結婚した後であっても、不特定多数の人間と交際し続ける限り、恋愛とはいつ何時でも遭遇する危険性があるからだ。

おそらく、不倫がここまで複雑な問題になってしまったのは「自由恋愛の究極が結婚」という子や財産を置き去りにした価値観がはびこってしまったからだと思う。

元々結婚は子などの財産の所有者を明確にするための手段でしかない。
子に焦点を当てれば、「子」は現代人が語るような「かけがえのない存在」というふんわりした意味ではなく、かつては「労働力」「稼ぎ手」と言った生々しい側面を有していた。
なので、子が稼いだ金銭や物品などの対価は誰のものになるか? を明確にする必要があった。
母親は明確である以上、誰の精子よるものなのかが問題になり、日本人はその判別のため結婚という交際の制限を設けることで解決を図った。
実際、重婚並びに再婚の禁止期間が設けられている点を思い出していただければいいと思う。

なぜ重婚がいけないかと言えば、仮にA、B、Cの三者がいて、Bを中心に重婚関係があったとして、AB、BCと財産を共有するわけだが、Bの財産をAとCはどう分ければいいのかがわからなくなるからだろう。金銭問題だけで十分お腹いっぱいなのだが、仮にBが女性で一人しか子がいなかったら悲惨だ。子供を縦に割ろうとでもいうのか?
DNA鑑定ができる現代でも親子関係は依然問題は問題のままになっていることは、最高裁の判断とそれへの反応を見れば明らかだろう。

現代ではほとんどの子が稼ぐのはお年玉ぐらいなもので、大卒後のざっと22歳ぐらい、最近は不況だから30くらいにならないといっちょ前の金額を稼ぐなんて想定できないご時世になり、そもそも価値観として子を金銭的な存在として見ることがはばかれるようになり、結果その部分がごっそり抜け落ちた議論が氾濫するようになったと見受けられる。
でも実際は、離婚時に一番もめるのは財産の分配や親権であって、結婚の本質はなにも変わっていない。

恋愛の末に結婚があるなんて大人の吐く台詞ではない。
婚姻関係を継続させる要因として、金銭や生活の依存・子供・両親族や社会の目などの方が、恋愛感情よりよっぽど信頼できる。
結婚は極めて経済的な問題で、社会安定のため共同体から要望された男女関係の一形態でしかないが、長い歴史の間、上で説明したような齟齬をかいくぐってきただけあって、人間交際から生じる幸福を得る上でなかなかよくできた形態といえるのではないだろうか。

数多く恋愛をすればいい結婚ができる?

数多くの恋愛を経ればいい相手の判別がつくようになるという理論が僕には全く理解できない。
初恋が結婚な夫婦は悪い結婚なのだろうか?
芸能人などで数多くの浮き名を流したような人がいい結婚をしているのだろうか?
そもそも、数を多くこなせば上達するものなのだろうか? 人間関係は。
それほど単純なものに僕には到底思えないのだが、世間ではそれが常識で、僕が異常なのだろうか。

厳密なデータがない以上、明確な結論は出せない問題だろうが、恋愛の数が結婚の善し悪しに関係するとは僕には思えない。
むしろ、たくさんの恋愛経験が不倫に走らせる心情もあるのではないだろうか? という考えも出てくる。
人間、知らないことはできないからだ。

結婚にかかわらず、いい人間関係を継続させるには、日々の善処しかないとは思うが、ただその善処が果たして相手にとって善いことなのかわからないから、やっぱり難しいし、一生考え続けるのだろうなとしかいえなくなるから、僕は関係が継続していることそれ自体が幸福なのだと思うことにしている。

不倫をするのは本人の意思であって、配偶者の善し悪しは関係ない

不倫の理由を配偶者に求めるのはただのいい逃れ。
もし配偶者が悪いのなら別れればいい話で、そこらへんもひっくるめて本人の意思以外にない。

現代日本において一般的な意味での結婚は、生涯を一対の夫婦として生き続けるという誓いなわけだ。
誓いを守るか守らないかは、相手のいかんに関わらず、本人が守り続けるから誓いなのであって、そうでなければ誓いに価値はない。

これから結婚する人には、自分が絶対に浮気しないと思える唯一無二の相手を見つけてほしい。
こんな人はどこにもいないと思える相手と出会ってほしい。

これは冒頭の記事からの引用だが、絶対に浮気しない相手なら契る必要がないではないか。
この先もっと素晴らしい人にたとえ出会ったとしてもあなたを選び続ける、というから価値がある。

結論

と、とうとうと好き放題言ってきた。
が、僕は結婚していないので説得力は全くないと思うと空しくなった。
おわり。

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