コンビニで公共料金だけを払いに来た人が店員の接客に文句言うのはおかしい

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僕の価値観というか、考え方というか、思想では、そもそも人間同士の交際を金でどうこうするということ自体、嫌悪感を抱いている。

例えば、初めて入った飲食店で粗末な扱いを受けて腹が立って抗議した場合。
「お金を払う客だからそれ相応の対応するのはサービスに含まれている。そのサービスを提供できなかった店は悪い」という考え方がある。
僕はそうではなく、
「初めて会った者同士なのだから、日本の文化として培われてきた礼儀をお互いはらわなければ、実際のサービスである配膳やその他のことに支障を来すから、礼儀をぞんざいに扱うのは悪い」
という考え。

ただ、資本主義というか、個人主義というか、アメリカナイズというか、そういう世の中なので、前者の合理性も半ば受け入れながら慎ましく生きているわけです。

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でもコンビニで公共料金だけを払いに来た人が店員の接客に文句を言うのはどう考えたっておかしい

僕の考え方では、そもそも公共料金にかかわらず、コンビニであれば「弁当が食べたい時に、いつでも弁当が並べられていて購入することができる」ことのために、見ず知らずの人(従業員)との応対を粗末にしてはいけないのであって、客だからといって横柄な態度は慎むべきだと思っている。

ただ、一応弁当一つとは言え、その場で働いている人全員が食っていける分ぐらいに余分にお金をもらっているわけだから、少々客が偉そうにしても、上の理屈でぐっと飲み込むわけだ。

ただ、公共料金に関して言えば「客を装った人」からびた一文、店は受け取っていないわけだ。

なら、この「客らしき人」が偉そうにできる理由は一体どこに求めれば良いのか。

例えば、公共料金の束を持ってきてレジの一つを長い間占有しているにもかかわらず、その店員が手間どっていたのか知らないが、叱責するため他の店員や店長を呼びつける神経に、僕は反吐を覚える。
正直、その「客らしき人」のせいで、他の本来の意味の客は朝の忙しい時間帯で長い列に並ばされ、「弁当を買う」という行為を若干阻害されているわけだ。もし、電車の時刻との兼ね合いで買えていたものを買えないこともあるかも知れない。

それでも、その「客らしき人」は悪びれもせず、平然と、むしろ自分が優位であるような態度を崩さない。一体どこにその根拠があるのか?

「公共料金支払い代行のインセンティヴを店は受け取っているではないか。それは回り回って私たちの料金に乗っているのだから、結果、私たちが店に払っていることになるではないか。」という論法は全くもって不当だ。公共料金の内訳の中には支払い代行の手数料は含まれていない。

「なら支払い代行なんて止めてしまえ」と極論を持ち出すのもナンセンスだ。コンビニでも支払い代行が与える恩恵と天秤にかけるまでもない。

両替もそうだ。

昔、コンビニ店員だったころ、両替を要求してきた客がいた。

その数日前に給料日あとだった事もあって千円札が切れた事があって、両替は出来るだけ断るようオーナーからのお達しがあったところだった。

僕が両替を断ると、途端に態度を変えて、「理由はなに? 両替くらいしろよ。」と罵られつつそう言われたことがある。

「銀行に行け」という話なのだ。というよりそもそも両替をする意味がわからない。深夜に両替をどうしても行わないといけない要件なら、どうして日中に両替しておかなかったのか?

両替ももちろん無償である。
それにも関わらず、なぜ、「客らしき人」は立場が優位にあると思い込めるのだろうか?

結局、アルバイトだから上下関係で下になる。

パイロットとコンビニ店員はどちらが偉いのかを考えれば、必要性と代替性の観点から、パイロットの方が希少であり、価値があると言えるのかもしれない。

ただ、それは本音であって、僕ら日本人は曲がりなりにも「平等」を謳ったのではないか。なら体裁だけでも「パイロットであろうと、コンビニ店員であろうと、LGBT、障害者、その他諸々、誰であろうと身分に上下はない」と整えなければいけないのではないだろうか?

パイロットになるには並々ならぬ努力を重ねなければいけない。そんな努力の結晶と、面接さえ通ればなれるコンビニ店員を同列に扱うのは、確かにパイロットに対して失礼なのかもしれない。
ただ、これは僕の価値観でしかないが、そんなパイロットが「コンビニ店員でも同じで人間ですよ」と言ってくれれば、それはそれは格好いいと思う。

ましてや、客らしき人はパイロットですらないだろう。コンビニ店員と同じ、面接を受けて受かったから働いている人に過ぎないのではないだろうか?

愚痴でした。終わり。

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