独断と偏見によるスルメで定番な映画ベスト6

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何度観ても面白い、そんな映画を僕の独断と偏見だけに基づいて選んでみた。といっても映画は一時期に大量に観ただけで、最近は観ておらず、レンタルショップに置いてあるような作品しか思い出せなかった。

僕の批評能力では到底順位など付けられない傑作ばかりなので、順番はランキングではないこと、ネタバレに注意されたし。括弧内は公開年。では。

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ひまわり(1970)

監督は「自転車泥棒」でも有名なイタリアのヴィットリオ・デ・シーカ、主演マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンの名コンビ。

結婚休暇を終えたばかりの二人はどうにか出兵を逃れようとするが第二次大戦という時代の波はそんな二人を許さず離ればなれに。戦争が終わっても帰ってこない夫、死んだとは到底信じられない妻は戦地へ夫を探しに行く。しかし、そこで見たのは……。
時代に翻弄される愛はすれ違い悲しくも、人間の強さを突きつける傑作悲劇。

イタリア人の陽気なイメージとは裏腹にイタリア映画の名作はどれも何か人生のもの悲しさを描く作品が多いように思う。フェデリコ・フェリーニの「道」、ルキノ・ヴィスコンティの「ベニスに死す」、ジュゼッペ・トルナトーレの「ニュー・シネマ・パラダイス」、ロベルト・ベニーニの「ライフ・イズ・ビューティフル」等々どれも偉大な作品ばかりだが、その中でも僕はこの「ひまわり」を押したい。

冒頭、画面一杯に映されるひまわりの花言葉は「あなただけを見つめる」。明るいはずのひまわり畑の後ろに流れる曲はなんとももの悲しい。離ればなれになるというのに「あなただけを見つめる」というのだ、これほど悲しいことはあるだろうか。愛する男が戦地で散るよりつらい物語が繰り広げられるが、それでも人は生きていくのだという現実を見せつけてくれる、そこにこの映画の真価があると、僕は思っている。

タクシードライバー(1976)

監督マーティン・スコセッシ、主演はロバート・デ・ニーロとニューヨークのネオンと蒸気。

アメリカンニューシネマはこの作品で完結したと言っていい金字塔的作品。
アメリカンニューシネマといえばアーサー・ペンの「俺たちに明日はない」、マイク・ニコルズの「卒業」、ジョージ・ロイ・ヒルの「明日に向かって撃て!」、他にも「フレンチ・コネクション」「ダーティハリー」「スケアクロウ」「ロング・グッバイ」「かっこうの巣の上で」等々アメリカ映画の一時代を築いた。共通項は「反体制」と「不条理」の帰結として「個人の無力」だろうか。紹介する「タクシードライバー」でこのムーブメントは終焉を迎える。

あらすじを書いても意味はない。この映画が駄作になるか、人生をも変えてしまいかねない傑作になるかは、ロバート・デ・ニーロが熱演する主人公トラヴィスにどれだけシンパシーを感じるかにかかっているからだ。
あなたは家と職場を往復するだけのマシーンになってはいないだろうか。絶え間なく過ぎる余生を無感動に過ごしてはいないだろうか。そんな中でせっかく生まれた人生、何かあるんじゃないかとくすぶってはいないだろうか。それでも何もできない自分に絶望してはないだろうか。
もし、そうならトラヴィスの勇姿を観てもらいたい。有名な最後の銃撃戦は「エクス〇ンダブルズ」なんかよりずっとあなたを爽快な気分にさせてくれるはずだ。

映像美としても一見の価値はある。主演にネオンと蒸気を挙げたが、すり切れたような質感のフィルムから醸し出されるネオン輝くニューヨークの街並みにはどことない影が落ちている。
他にも娼婦役で出演したまだ13歳のジョディ・フォスターは必見だ。

雨に唄えば(1952)

監督はジーン・ケリーとスタンリー・ドーネン。出演はジーン・ケリー、デビー・レイノルズ、ドナルド・オコナー。

暗い作品が続いたので明るいミュージカルをば。
僕はミュージカルがあまり好きではなく、「雨に唄えば」も食わず嫌いで過ごしてきてしまった。本当に後悔している。もっと早くに観ていたらもっと違う感覚も味わえたかもしれない。観ていない人がいるなら早急に観るべきだ。

時代はサイレント映画からトーキーへ。そんな時代に翻弄される映画スターたちの苦悩を極上のコメディに仕上げた作品。
サイレント映画の花形女優リナは性格がねじ曲がってる上にだみ声。同じ制作会社の名優ドンとのゴシップに世間は一喜一憂。実際はリナが一方的にドンに惚れているだけで、ドンはうんざりしていた。その上訪れたトーキーブームに四苦八苦。ようやく形にしてみたところでクソ映画とこき下ろされる始末。なんとかせねばとドンと親友コズモと新人女優でドンと恋仲のキャシーが無い知恵絞って一晩考えて出たのはタップダンスを取り入れたミュージカルだった。
そこで流れるのがかの有名な「Singing In The Rain」である。
そして、大問題の”あのだみ声”が最後まで僕たちを笑わせる結末へ……。

とにもかくにも、観た人は長回し一発撮りの「タップダンス」を語らずにはいられないだろう。ジーン・ケリーがストイックな性格だったらしく、タップダンス未経験者だったデビー・レイノルズは「もう二度とやりたくない」と答えるほど撮影は過酷を極めたという。
その努力の表れは「Good Morning」や「Moses Supposes」などで検索してyoutubeなどで一場面でも観ていただければと思う。これだけでも楽しくなってくる。

ドナルド・オコナーのパントマイムも注目だ。オコナーがひとりで暴れ回るシーンは傑作だ。言いたくはないが、現在日本のテレビで紹介される「芸人」の芸が芸と思えなくなる。「ああ、まねできねえ」という感嘆の息が漏れるだろう。

そして、所々狭しとちりばめられた上質のコメディの数々。僕は何度観たかわからないが、馬鹿でかいマイクで音声を拾おうとするが失敗し続けて監督がぶち切れるシーンは今でも笑える。

それにしてもデビー・レイノルズがかわいい。

仁義なき戦い 広島死闘編(1973)

監督、深作欣二。出演、北大路欣也、千葉真一、梶芽衣子、菅原文太。

やくざ映画のなかでも有名なこの「仁義なき戦いシリーズ」は全五作あるが、この広島死闘編は外伝として位置づけられている。第一作がヒットして調子に乗った東映が続けて第二作をと企画したときに、原作が追いついていなかったおかげでこの広島死闘編が生まれることになるとはなんという皮肉か。

邦画でまず思い浮かんだのは小津安二郎の「東京物語」、川島雄三の「幕末太陽傳」、溝口健二の「祇園の姉妹」だ。どれをと考えているうち思い浮かんだのは黒澤明の「生きる」と「乱」だがこれはよく思い出せない。「乱」の燃えさかる城をバックに白装束の仲代達矢が出てくるシーンは強烈なのはあるが、どうも……。回数で言えば圧倒的に「東京物語」だが、日本の家族観がこうも変容を遂げてしまったことを思うと、だったら森田芳光の「家族ゲーム」を挙げたくなってしまう。だけどこれも思い出せるシーンは松田優作が子供をひっぱたいてるシーンとラストの食卓を無茶苦茶にしているシーンしか浮かばず止めにした。

そして、「広島死闘編」に行き着いたわけだが、決定打となったのはそのテーマ性。日本の諸行無常が武士や昔の題材を用いることなく、現代の実在の人物をモデルにして描いているところに価値を感じた。それに、これはやくざ映画と侮るなかれ。

”殺人鬼”と後に恐れられることになる山中は大友勝利らにリンチを受け、その看病をした靖子と男女の関係に。それに反対した靖子の叔父で組長の村岡は、二人を一度は認めたが、山中が無期懲役を食らったのをいいことに靖子を元の婚家に戻し、死んだ亭主の弟と再婚させようとする。獄中でそれを知った山中は激怒し村岡を殺すため脱獄。察知した村岡は急遽婚家から靖子を戻し、何もなかった誤解だと山中をだまし、山中はそれを信じたが……。

厳つい男たちがドンパチを繰り広げるおぞましい映画に見えるだろうが、この作品には極限の状況で垣間見える人間の危うさと優しさがとても綺麗に描き出されている。どうしてこうも人は不器用なのだろうと思わずにはいられない。

何より女性から観てこの作品はどう感じるのか、そして前述した「ひまわり」と比較してどう感じたかを是非聞いてみたい。「広島死闘編」の靖子、「ひまわり」のジョバンナは愛する者との強制的な別れに直面したが全く違う行動をとった。
現代この筋で映画が撮られるならその女性キャラクターはどうこうどうするだろうか、主語が大きくなってしまうが言い換えれば現代の女性がそんな状況に直面すればどういった行動をとるだろうか。

映画に限らず小説や音楽などの芸術、特に物語を内包している芸術は現代を写す鏡であることを頭の片隅にでも置いて観るのも悪くないだろう。「広島死闘編」も日本の一時代を写した鏡であったことは間違いない。

ベルリン・天使の詩(1987)

監督はヴィム・ヴェンダース。主演、ブルーノ・ガンツ。

ヴィムヴェンダースは言わずと知れたロードムービーの大家で「パリ、テキサス」がいの一番に挙がる。ロードムービーといえば、先ほども挙げた「道」や、ロブ・ライナーの「スタンド・バイ・ミー」、マーティン・ブレストの「ミッドナイト・ラン」、ウォルター・サレスの「モーターサイクル・ダイアリーズ」、他にも「レインマン」「イージーライダー」などなど。僕が思い出すのはパーシー・アドロンの「バグダッド・カフェ」が面白く感じた。
さて、ヴィムヴェンダースはそれほど好きではなく全部見たわけではないが、「ベルリン・天使の詩」は妙に脳の片隅にこびりついている。

どんな話かと言えば、悠久の歴史、人間を見守ってきた守護天使ダミエルはひとりの女性に恋してしまう話。

別段、今まで挙げてきた作品全てネタバレしたところでどうってこと無いほどの映像美や物語の深さを内包している。この作品は特に物語として観るだけならなんの意味も無い作品だろうと思う。
天使がひとりひとり耳を傾けた時に聞こえる葛藤の数々、白黒の世界と色彩豊かな世界の対比、刑事コロンボの台詞が示す意味。そのひとつひとつを自分自身の力で咀嚼することで味が出てくる。まさにスルメなのだ。
一例を挙げれば、冒頭オープニングクレジットが流れるよりも前に「子供が子供だった頃 腕をぶらぶらさせ 小川は川になれ 川は河になれ 水たまりは海になれ と思った」と詩の朗読で本編は始まる。「子供が子供だった頃」と聞いてあなたは何かを思い浮かべてしまうのではないだろうか。郷愁、懐古、憧憬。だが、すぐにその詩は「子供が子供だった頃 何も考えず」と裏切る。
これはほんの一例だが、きっとあなたの心にも引っかかる言葉や情景、街並み、女、何かがあるはずだ。その引っかかる何かを感じるとることはすでに面白いことではないだろうか。

機動警察パトレイバー2 the Movie(1993)

監督、押井守。作画監督、黄瀬和哉。

アニメ映画で、というより邦画全体を見てもこれほど現代日本の病理をいぶり出した映画はないんじゃないかな、と全部見ている訳ではないのに勝手な確信を持ってしまう作品。根底に流れるテーマは同監督作品の「スカイクロラ」にも通じているように感じている。

ジャパニメーションで挙げるとすると大友克洋の「AKIRA」や短編集作品群(「火要鎮」はすごかった)、宮崎駿の「紅の豚」、押井守の「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」、今敏の「千年女優」、テレビアニメの「めぞん一刻」は外せない。あと「ルパン三世 ルパンVS複製人間」「じゃりン子チエ」「うる星やつら ビューティフルドリーマー」「風立ちぬ」らへんか。

「機動警察パトレイバー2 the Movie」だが、まずはあらすじ。

首謀者、柘植行人の計画は横浜ベイブリッジをミサイルで爆破することに始まった。刻一刻と東京が戦地になっていく緊急事態に、自衛隊や警察は混乱し狼狽し翻弄される。そんな中、後藤警部補と南雲警部補に陸幕調査部別室の荒川と名乗るうさんくさい男が柘植の捜査協力を依頼、二人は警察本部とは別に、独自で捜査を進めることになる。柘植が過去に東南アジア某国にPKO部隊としてレイバー部隊を率いた際、敵に遭遇し反撃の許可が下りず一方的な攻撃にさらされ部隊が壊滅したことや南雲警部補と柘植の関係やなんかが交錯しつつ、柘植の真の目的に迫っていく。

という話で、この映画の魅力は「こういうことは誰かが起こし得そうだし、仮に起ったとすれば自衛隊や警察はこういう対処になり得るだろうな」という妙なリアリティにある。航空自衛隊のレーダーに補足される謎の機影に翻弄されるシーンなどはそんなリアリティを倍増させる。

そして、根底に流れるテーマ。このテーマこそがもはやネタバレなので言えないのが悔しい。観た人にしかわからないように書けば、「もう少し、見ていたかったのかもしれんな」に凝縮されているように思う。そして、公開されてから二十数年経った、アニメではない現実の今も危機感のなさから来る不安は払拭されていないことを考えると、今だ生きている作品だと言える。

今回はこの辺で。

さて、疲れました。記憶をほじくり返すだけでもカロリーを消費したように思う。

まだまだこの世にはスルメな作品が存在しているわけで全部挙げようとは到底思わないが、飽きるまで出しまくろうと思っていたら6作品しか挙げられなかったのは悔しい限りだ。

そういえばSFが出なかった。「2001年宇宙の旅」がたぶん一番多く回数を観ていると思う。キューブリック作品は大好きだったりする。

以上。

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