恋愛だと思ったらネットワークビジネスだった

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大阪が心配だ。二十代後半も心配だ。

ここ三ヶ月程とある女性にかまけており、結果失恋と相成った。彼女によるアプローチの動機はすべて中国資本のネットワークビジネスだと判明し、僕の熱情も一気に失われた。

話は中学の同級生だった彼女が僕の勤める店舗にふらりと現れたことに始まる。彼女は「ここで働いてるって聞いたから」と言った。そのとき「暇があったら飲みにでも行こう」と半ば社交辞令のつもりだったが、僕はそう答えた。一ヶ月を置いて彼女から連絡があり二人で飲みに行くことになる。

「中学の頃、実は好きだった」
そう言われて嫌な気分がする男はいない。昔なじみであることも拍車をかけたのか会話も盛り上がり、男として言い寄る他ないと思い至った僕は押して押して押しまくった。
彼女には僕と飲みに行く三日前に彼氏が出来たことを告げられていたが、僕はもう魔法にかかっていたわけで、ライバルは年下、負けてたまるかという心情が芽生え「天秤にかければいいじゃないか」と根拠もなく強気に出た。嫌ななら連絡も絶えて終わるだけだろうと、散って元々、どうせ寂しい人生なのだからと開き直り大胆になっていた。
体は許されなかったが(おっぱいも揉んでいない)、部屋まで連れ込めたのも自信につながってしまっていたのかもしれない。そもそもこの時点でおかしいと気づけばよかったと今では反省している。

次のひと月で三度逢瀬を重ねた。彼女にとっては頃合いだったのだろうが、「一度私がやってる仕事の話聞いてみいひん?」と打診された。
僕は常々彼女に仕事は何をしているのか? と聞いてはいたもののその都度はぐらかされ、不安の混ざった疑問を抱いていたのもあり、いい機会だとその申し出を受けることにした。

三月某日、天神橋すぐ近くの築浅めのオフィスビルの一室に招かれた僕は、「大学卒業後、有名I大学大学院のMBAに合格してたけど、今からの時代普通に会社員になっただけでは、自分の家庭と一人親のお母さんを養えないことがわかって、大学院には行かずに、現在起業するために事業に取り組んではる人」から説明を受けることになった。

中国資本のネットワークビジネスだった。
もっとダーティな仕事だったならドラマとして展開が期待できるのだろうが、現実というものはこの程度で、想像通り、予定調和、僕にとってはお笑いで言う「テンドン」でしかなかった。内容はエクスペンタブルス2ぐらいつまらないので割愛するが、ざっと二時間半を説明すると、

「結婚生活はお金がかかるから、アムウェイとは違うクリーンな中国資本のネットワークビジネス会社の健康商材で一山当てつつ『健康』も手に入れよう」

というものだった。よくこれを二時間半に希釈できたなと感心する。

その帰り、ずっと蓋をするべきか抉るべきかを考えていた。
考えているうちにさようならの時間になって自動的に蓋がしまった形になって来た「今は付き合えない」というLINEの文言、その理由は「私が取り組んでることについて確かめようとしてくれたり、なんでやってるんかとか私のことを知ろうとしてくれる姿勢を示してもらえてたら嬉しかったかなぁ」ということらしい。キャンプファイヤーばりの熱情に黒部ダムの貯水を全部ぶっかけられた瞬間だった。

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なぜこうもネットワークビジネスなのか

僕の狭い交友関係のたった二例と疑わしい一例の合わせて三例でしかないが、こうも立て続けに遭遇するとゴキブリ一匹見つけたら理論(彼らをゴキブリと言っているわけではない)ではないが、二十代にネットワークビジネスが流行ってしまっているのではないかという疑惑をどうしてもいだいてしまう。
僕の考えは主語が大きいのではないか? 誇大妄想ではないか? という不安と、恋に破れかぶれで涙の代わりの溢れる言葉を吐き出してカタルシスを得たい欲求とを解消するため、閉店間際の難波のバーで一杯と二十分を買った。

二十代にネットワークビジネスが流行っているかどうかはどこぞのシンクタンクや政府なりに任せるとして、仮に流行っているのだとすれば、なぜ流行るのか、流行るであろう素地はどこにあるのか。

二十代前半の時点で就職し仕事を身につけないままビジネスだけ覚えている状態で仕事を辞め、にっちもさっちも行かなくなって手をこまねいているところをそそのかされるのではないだろうか? というシナリオが頭に浮かんだ。
あの説明を受けてなんの疑問も浮かばない時点で商売の素養は無いはずなのだ。
「一般の企業は販管費の広告の費用が価格に転嫁されている。一方ネットワークビジネスなら広告費用を浮かせることが出来てコストが下がり、結果他の類似商品よりも高品質低価格を実現できる」と聞いて納得できるだろうか? 僕には出来ない。
反論を挙げれば、小売り価格が製造原価と販管費諸々合計費用から算出されると考えるのはおかしくて、小売り価格は需要と供給によって決まるのだ。
SDカードは価格変動が激しく流通量が多いので他店の価格を参照し赤字価格を付けることもあるし、逆にLEDライトのような出始めで高価格を維持出来てびっくり黒字だったものもある。
大学院を蹴った男は歯ブラシの原価は1円というのを例に出していたが、100円で売れるから100円で売っているだけで、広告費と全く関係が無いことは一年ばかししか営業をしていない僕でもわかる話だ。
そもそも広告費が浮いているのはあなた方がこうやって19時から21時半まで仕事しているから浮いている訳で、むしろ広告費請求しろよと思う訳だ。口コミと言うがつまりは営業で、相手が企業のバイヤーか場末の店舗の雇われ店員かの違いなだけで、それだったバイヤーに百個単位で買ってもらうほうがよっぽど楽で、しかも僕はそれを月24万手取りで安定してもらいながらやってたので正直ばからしいと思うのだ。インセンティブとやらでいくらもらっているか知らないが。
つまり、何言ってんだこいつ? となるべきところを外している時点でもう商才は無いのだ。

推論でしかないが、成功者と称する黒光りで出来損ないの高田純次みたいな人間をなまじっか目の当たりにして「僕も頑張ればあんな風になれるんだ」と錯覚するのかもしれない。ジャパニーズドリームを信じて止まない青年諸君は一か八かじゃないと気が済まないようで、そこそこ稼いでそこそこ生きていくライフスタイルは失敗と見なしているのではないだろうか。博打打ちの発想だ。時間も友人も失わない分宝くじで一発の方がまだ健全に思える。

そういえば、どこで見たのか忘れてしまったが、「楽観的な人間の根本は悲観的で、悲観的な人間の根本は楽観的だ」という文章を思い出す。「行動しよう」という楽観の裏には「何もしていない今はダメ」という悲観があり、「行動しても失敗する」という悲観の裏には「この状態がまだマシ」という楽観がある。「ダメ」とか「マシ」というのは個々固有の価値観で、何が「ダメ」なのか、どうだったら「マシ」なのかを考える方が大事だと思う。金がないから「ダメ」だとしか考えられなかったらそれこそ貧しくて、花言葉のひとつもしらないなとか、あいつに悪いこと言っちゃったとか、酒はほどほどにしないととか、そういったことを考え抜く方がよっぽどいい。
だから僕はこうして彼女のことを記事にしたわけだが、先ほど紹介した付き合えないというメッセージの返信を出来ないでいる。どう答えるべきかを未だ出せないでいる。
彼女は僕のペンネームを知っているので、検索してこの記事にたどり着くかもしれないという淡い期待を込めて、久しぶりに筆を執った。
僕は密かにこんなことを考えていたけど、本当にこんな答えを聞きたかった? 出来れば君が大学時代に路上でギターを鳴らして歌っているところに出くわしたかった。終わり。

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